四国八十八か所巡礼 歩き遍路
土佐の国 修行の道場


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番号 山号 寺号 納経日 番号 山号 寺号 納経日
24 室戸山 最御崎寺 平成24年10月 7日 32 八葉山 禅師峰寺 平成24年11月24日
25 宝珠山 津照寺 平成24年10月 7日 33 高福山 雪蹊寺 平成24年11月24日
26 龍頭山 金剛頂寺 平成24年10月 7日 34 本尾山 種間寺 平成24年11月22日
27 竹林山 神峯寺 平成24年11月22日 35 醫王山 清瀧寺 平成24年11月22日
28 法界山 大日寺 平成24年11月23日 36 独鈷山 青龍寺 平成24年11月23日
29 摩尼山 国分寺 平成24年11月23日 37 藤井山 岩本寺 平成25年 1月12日
30 百々山 善楽寺 平成24年11月23日 38 蹉陀山 金剛福寺 平成25年 3月 9日
31 五台山 竹林寺 平成24年11月24日 39 赤亀山 延光寺 平成25年 5月 4日

 2012年(平成24)年9月15日(土)歩き遍路の9日目、徳島県牟岐町から歩き始め、水床トンネルを抜けると、高知県東洋町の国道標識があった。やっと、発心の国を過ぎ、修行の国に入った。昨日から、雷雨の中、修行に入って感がある。高知県に入り、甲浦(かんのうら)の町を歩くこととなるが、途中、道に迷った。この付近では、よく目にした赤い遍路シールが殆どない。遠目で赤い印が見えたので行ってみると津波非難の矢印であった。ついに、「うぐいす谷」に迷い込み、行き止まりとなった。引き返し、近所の人に尋ねると親切に方向を教えてくれた。時々、迷う遍路がいるそうで、心配になり自転車で来てくれたようである。感謝、感謝。たぶん、歩きに専念せず、心が迷っているから道にも迷うのだろう。安芸市内や高知市内、土佐市内でも道に迷う。道が入り組んでいる複雑な場所が苦手なようである。奈半利から香南市の間も雨、秋と言いながらも寒くなってきた。
 年が明けた2013年の1月の三連休も雨、流石に冬の雨は厳しい。修行の道である。3月になると、寒暖が繰り返し、運よく暖かい3日間をかけて足摺岬をぐるりと回った。2013年のゴールデンウイークを利用して5日間を歩き、土佐の国、修行の道場を終えて、伊予の国菩提の道場に入った。


 2012年(平成24年)年9月15日から2013年(平成25年)5月4日の間、断続的に20日を歩く。一番札所から数えて29日になる。通しの遍路に比べると20〜30%長いようだ。



9日目

徳島県牟岐町から高知県生見町へ         Top

 2012年9月15日、徳島県牟岐町から高知県生美町まで歩いた。発心の道場、徳島県をを9日間かけて巡礼し、ようやく修行の道場である高知県に入ることになった。
 7:00に牟岐町の旅館を出立し、鯖大師を経て、15:00水床トンネルを抜け、高知県東洋町に入った。
 やっと、発心の国を過ぎ、修行の国に入った。昨日の雷雨の下での歩き遍路で、修行に入った感がある。間もなく、遍路道の分岐があったので、歩き遍路の道を通ることした。甲浦(かんのうら)の町を歩くこととなるが、途中、道に迷った。
 16:20民宿「谷口」に到着。今日の遍路は、4名で、あとはサーファーばかりという。台風の波で急に宿泊予約が入ったとのこと。
 22:00頃、サーファーの一団が車で帰ってきた。朝まで、真に賑やかな一夜であった。


修行の道場(高知県)に入り、生見町へ        Top

 15:00水床トンネルを抜けると、高知県東洋町の国道標識があった。やっと、発心の国を過ぎ、修行の国に入った。間もなく、遍路道の分岐があったので、歩き遍路の道に入り、甲浦(かんのうら)の町を歩くこととした。途端に、道に迷った。この付近では、よく目にした赤い遍路シールが殆どない。遠目で赤い印が見えたので行ってみると津波非難の矢印であった。ついに、「うぐいす谷」に迷い込み、行き止まりとなった。引き返し、近所の人に尋ねると親切に方向を教えてくれた。時々、迷う遍路がいるそうで、心配になり自転車で来てくれたようである。感謝、感謝。たぶん、歩きに専念せず、心が迷っているから道にも迷うのだろう。
 15:45再び国道55号線に戻る。16:20民宿「谷口」に到着。今日の遍路は、4名で、あとはサーファーばかりという。台風の関係で急にサーファーの宿泊予約が入ったとのこと。関西や遠くは関東からサーフィンに来るという。生見海岸は、サーファーで一杯。オットセイがいるような異様な風景である。
 18:00〜20:00夕食。秋の夜長とはよく言ったものだ。1名はキャンセルで歩き遍路3人と宿の女将で遍路の話に盛り上がった。昨日は大雨警報のため野根で通行止め、車も人も通れなかったとのこと、台風の影響が心配になる。歩き遍路の一人は、1週間の夏休みでお遍路を始めたとか、健脚である。登山が趣味で山には自信があるが平地の距離は苦手とのこと、面白いものである。もう一人は、明日中に室戸まで行かねば予定が狂うとのことで、5時に早立ちすると言っていた。
 22:00頃、サーファーの一団が車で帰ってきた。真に賑やかな一夜であった。
甲浦の地蔵堂 甲浦漁港 甲浦漁港の街並み うぐいす谷
 15:10頃、国道55線から遍
路道に入ると地蔵堂が目に
入った。
 15:10頃、甲浦漁港を歩く。
 風情のある漁村の街並み
が続く。のんびり歩いていっる
と道に迷った。
 15:20頃、行き止まりになる。
うぐいす谷らしいが、抜け道
が分からず戻ることとした。

甲浦の街並み 国道の遍路道 生見海岸 民宿に到着
 15:30頃、遍路道に辿り着き
街並みを歩く。落ち着いた雰
囲気である。
 15:50頃、再び国道55号線
の遍路道を歩く。
 16:10生見海岸に着く。
多くのサーファーが楽しんで
いた。TVで見たオットセイの
風景である。
 16:20頃、民宿「谷口」に到
着。楽しい一時を過ごす。


10日目

高知県生見町から佐喜浜へ(台風で途中断念)      Top

 2012年(平成24)年9月16日(日)、3:30頃、雨音で驚き目覚める。再び眠りにつき、起きると雲の切れ間も見られた。天候は、昨日よりは良さそうである。隣部屋のお遍路が正に出立の場面であった。「お互い気をつけて、また、どこかで」と声を掛け合い出て行った。ユニークな若者で何処かで会いたいものだ。
 6:20から朝食、皆、行動が早い。もう一人の遍路は、天候が心配で食事を既に済まして出る準備をしていた。私は、今日は行こうか帰ろうかと思案中であり情けなくなった。
 7:00宿を出る。7:40から8:00東洋大師参拝。歩くだけではなく、1日に1箇所は霊場を参拝したいと思っていた。途中の看板に「通夜堂あります」とあったので、どのような場所か確認もしたかった。
  8:10頃から国道を外れ街中の遍路道を歩く。旧道と思われる。道中、地元の皆さんとの会話を楽しみながら、天候の不安を他所に、のんびりと歩いた。
 野根からは、海岸に沿った国道55号線を黙々と歩く。自販機が全くないので水には要注意である。途中、土砂崩れの復旧作業で片側交互通行の箇所が幾つかあった。野根を出たところで通行止めになるのだろう。
 途中、法海上人堂で、谷川の水を汲み空のペットボトルに水を補給する。10:10頃には、室戸市に入る。近くの「ヨドイソノ休憩所」で休憩の後、11:00頃、仏海庵で再び水を補給する。天気予報では雨の予報であったが、晴れ間の多い日である。大いに汗をかき、水をよく飲んだ。
 佐喜浜付近で雲行きが怪しくなってきたので、今日のうちに大阪に帰ろうと決めた。修行の国に入ったとたん、風雨で引き返すのは残念と思うが、止めるのも勇気がいると勝手に言い訳した。
 室戸から大阪に向かう直行バスは満席であったので、路線バスで生見に向かい、生美から大阪に帰ることができた。車窓の風景は、今日歩いた道路を遡るもの。不思議な気持ちになった。随分歩いたものだと思う。人の力の小さがよく言われるが、自分の力が思ったよりあると感じた。
 

 


高知県生見町から東洋大師へ    Top

 東洋大師では、大柄な和尚が出てきて納経所で対応してくださった。台風は心配ないとの言葉に、室戸まで行ってみようと、ふと思う。お寺の山門にいる犬も静かにおとなしく横たわっている。近くを歩いても驚かず、首を擡げて目配せをするような雰囲気である。飼い主の気性が伝わるのかもしれない。私が犬を飼ったら大変なことになる。たぶん。
 東洋大師縁起によれば、弘仁2年、嵯峨天皇の代に弘法大師が四国八十八か所開創の折に立ち寄られ、加持祈祷により清水を得られた地と言われている。寛永10年(1641)にはこの地に番外札所があり、遍路宿泊所として用いられた記録がある。実際に大正時代頃までは、室戸までの道は整備されておらず、海岸沿いに、「ごろごろ石」「飛び石」「はね石」という足元が悪いところを歩いていたようである。昔は、満潮で海岸を歩けないときは、野根で昼寝をして翌早朝に野根山を越えていったことから、東洋大師は、「野根の昼寝」と言われたそうである。その名残か、通夜堂がある。3畳ほどの建物で雨風が防げるようになっている。扇風機もあり、数人の宿泊なら申し分ないと思う。

民宿を出立 国道55号線の遍路道 東洋大師の看板 東洋大師山門
 7:00民宿「谷口」を出る。思
ったより天気は良さそうだ。
 7:10頃、国道ながら眺めも
良く、快適な歩きができた。
 7:20頃、東洋大師の看板が
目に入った。 「通夜堂ありま
す」の言葉が気になった。
 7:40東洋大師明徳寺に到着
する。境内はコンパクトだが
色々なものが凝集している感
がある。

本 堂 菩薩堂 通夜堂 通夜堂
 3畳ほどであるが、扇風機も
あり、数人の宿泊なら申し分
ないと思う。


東洋大師から佐喜浜へ       Top

 8:00東洋大師を出て街中の遍路道を歩く。旧道と思われる。道中、おばさんから「台風が来るけん、早よう行けや、大雨大風だから、バスでも何でも使って早よう行け(方言に誤りがあるかも)」と言われながらも、世間話に花が咲く。このあたりは、東洋町野根、民宿の女将から通行止めになると言われていた集落である。
 しばらくすると、おじさんに呼び止められ、「この辺りで円広志が生まれた。ジャンボ尾崎は、近くの海南高校から東映(若い方は知らないと思うが、以前は、東映がプロ野球の球団を持っていた。)に入り、監督の勧めでゴルファーになった。」などのお国自慢が始まることもあった。皆さん、のんびり過ごしている。天候急変を心配し気が急いていたが、思わず歩きがのんびりとなる。楽しい遍路道の散歩であった。
 再び、国道55号線に戻る。野根からは、海岸に沿った国道を歩く。自販機が全くないので水には要注意である。
 9:30法海上人堂があり、休憩できる場所がある。「水」の表示があるが、谷川の水を汲むようになっている。空のペットボトルに水を補給する。冷たく澄んだ水である。少しの浮遊物は止むを得ない。なお、数日経った今も健康に問題は生じていない。この辺りには、猿が多い。さすがに多数の猿に睨まれると恐怖を感じる。思わず目を逸らした。
 10:10室戸市に入る。近くの「ヨドイソノ休憩所」で休憩。雨の予報であったが、晴れ間の多い日である。大いに汗をかき、水を飲む。暫くして、国道から右に反れて遍路道に入る。11:00頃、仏海庵があり参拝し、脇の水道から水を補給する。国道55号線と平行にある旧道である。
 佐喜浜に入ると、雲行きが怪しくなってきたので、今日のうちに大阪に帰ろうと決めた。修行の国に入った1日目に、風雨で引き返すのは情けない話である。サラリーマンの性、連休明けに会社に出れるのかと心配になる。そこで、止めるのも勇気がいると勝手に言い訳し、帰ることとした。12:00に佐喜浜にいるので9km先の椎名バス停(16:00発)からの乗車しようとしたが、満席とのこと。店の方が、路線バスとの乗り継ぎで生見からなら大阪まで行けることを調べてくれた。お手数をおかけし、感謝、感謝である。
 12:25発の路線バスで生見に向かう。このバスに乗れなかったら、生見からのバスにも乗れず、今日中には帰ることができなかった。バスの車窓から眺める風景は、格別なものがある。今日歩いた道路を遡り、不思議な気持ちになる。途中、2人の歩き遍路を見かけた。そろそろ、歩き遍路が多くなる季節かと思う。
 生見では約2時間の待ち時間がある。雨が降った様で、辺りには水溜りがあり蒸し暑い。駐車場近くの芝生で着替えを始めた頃、俄かに暗くなりスコールのような雨が降り出した。雨は、間もなく上がったので、東洋町役場の玄関前に移動し、ベンチで時間を過ごした。こんな時のために、一冊の文庫本を持参したが、何も考えずにぼんやりしていた。何か、座禅でもしているような心持になった。禅寺で座禅をするときは、いろいろ考えてしまう。ここでは、何も思うことなく時間を過ごす。不思議な心持ちになった。後から思えば、単なる居眠りかも知れないが。
 15:15生見発の大阪行きの徳島バスEDDY号で帰る。このバスも、ほぼ満席であった。台風で旅行を切り上げる人が多いのかと思う。
遍路道 遍路道 遍路道 遍路道
 8:00東洋大師を出て、室戸
岬に向けて歩き始める。
 8:15野根の街中を歩く。「野
根まんじチウ」の看板を掲げ
る饅頭屋がある。
 8:20頃、野根の町外れ、橋
を渡り、国道55号線に出る。
 9:00頃、国道55号線からの
眺め。雲行きが怪しい。心配
になる。

路傍の地蔵 法海上人堂 法海上人堂 遍路道
 防護壁にも地蔵が残されて
いる。室戸岬までの間、数多
くある。先人の遺影である。
  9:30法海上人堂に水場が
ある。東洋大師を出て1時間
30分、途中、自販機もなく、有
難い水場である。
 お堂の下に谷川があり、澄
んだ水が流れている。ここで、
水筒に水を補給。ただし、猿
に睨まれ、怖い思いをした。
 7:40頃の国道55号線。太
平洋の荒波が押し寄せる。気
持ちも清々しくなる。

休憩所 室戸市に入る 佛海庵 遍路道
 10:20国道55号線沿いにあ
る休憩所。ちょっと休憩。
 10:50室戸市に入る。  仏海は、伊予(愛媛県)北
条市の生まれ。宝暦10年(
1760年)に駐錫し佛海庵を起
こし18歳から3,000体の地蔵
尊像を彫刻し四国巡礼を重
ねたと言われている。
 11:00頃の国道55号線。

佐喜浜 佐喜浜バス停 路線バスで帰る 生美バス停
 11:40頃、佐喜浜の街中を
歩く。
 モンマートむろと店が高速
バスのチケット取り扱いを行
っている。大変お世話になっ
た。
 12:25の路線バスで生美まで
戻り、生美から高速バスで、
かろうじて帰る。
 13:20頃の生美。スコールの
ような雨が吹き付ける。


11日目

高知県佐喜浜から椎名へ      Top

 2012年(平成24)年10月6日(土)、大阪から高知県に向かう。途中、6:30頃、民宿椎名から電話があった。相部屋をお願いできないかとのこと、連休で困っている人がいるとのこと。遍路には、相部屋が相応しいと思い了解した。
 高速バスは三連休のせいか満席である。13:20佐喜浜に到着。20分遅れである。この日は、9kmを歩けば椎名の民宿につく。バス停前のモンマートでは、前回、チケット手配でお世話になった店の女性から「今日、また、始められるのか」と聞かれた。前回のお礼を言って、一言二言会話をする。その土地での会話が、着いたとの思いになる。ここで白装束と菅笠をつけ歩き始めた。
 13:40出発。防波堤路を暫く歩く。風も秋らしくなり、海を見ながらの歩きは、気持ちが良い。この後は、国道55号線を歩く。14:40民宿徳増前を通過。
 15:00頃、夫婦岩で10分ほど休憩。観光バスが、路肩に停車して観光していた。一人の初老の男性から声をかけられ、自分も歩いて回りたいと感慨深げに言われていたのが印象的であった。
 15:40民宿椎名に到着。16:00頃、相部屋の歩き遍路の方から民宿に電話がかかってきたようである。まだ、佐喜浜とのことで民宿の女将が車で迎えに行った。
 夕食は、女将と歩き遍ろ3名でビールと食事の楽しい一時を過ごした。あっという間の3時間であった。明日は、この3人共に金剛頂寺の宿坊にに泊まる。3か寺を回り25kmを歩くことになる。宿では、宿泊の話題が多く、女将の経験談も多く聞くことができた。この民宿は、2部屋しかなく、2名限定でであり、今日のように時々相部屋をお願いすることもあるという。明日は、晴れれば、水平線からの美しい日の出が見ることができるという。明日の日の出は、6:05、期待したい。


防波堤路 遍路道から 遍路道から 遍路道
 13:50頃、佐喜浜を出て間も
なく国道55号線の防波堤の
道を歩く。
 国道55号線から望む海岸。
太平洋の荒波に晒された海
岸を見る。
 14:20頃、黙々と歩き、ふと
海岸線の先を見ると遠くに室
戸岬(たぶん)に気付く。岬、
目的地が見えると気持ちも変
わる。
 14:50頃、南国の遍路道にも
芒が出迎える。秋の気配をし
みじみと感じる。

夫婦岩 夫婦岩の碑 夫婦岩の海岸 民宿に到着
 15:00頃、夫婦岩に到着。時
間にゆとりがあったので、暫し
休憩
 夫婦岩のいわれが記されて
いる。
 夫婦岩から室戸岬を望む海
岸。南国の情緒が漂う。
 15:40、民宿椎名に到着。ゆ
っくり歩いたが、早く着いた。
この後、歩き遍路達と楽しく過
ごした。


12日目

 2012.10.7(日)歩き遍路12日目である。6:05の日の出に合わせて海岸に出るも雲が立ち込め残念ながら日の出を見ることはできなかった。しかし、水平線近くの雲間が赤く染まってくるのをのんびり眺めていると、気持ちが落ち着く一時となった。
  7:00民宿椎名を出発。遍路道の途中、中年のご婦人から声をかけられ、缶コーヒーとパンのお接待を頂く。先日は、イタリア人のご夫妻が歩いていたとのこと。
 青年大師像のお寺「明星来影寺」と霊場「弘法大使修行之処」を参拝し、史跡「室戸岬」の標識近くから、山道に入った。
 10:00頃から24番札所「東寺最御崎寺」を参拝。お寺から5分ほどの室戸岬灯台を観光し、津照寺に向かった。途中、すれ違う老人から「あと1里で津照寺だから、がんばれ」と声をかけられる。「1里」がいい。
 12:50頃、津照寺到着。山門から本堂に向かう途中に中国風の建物があった。仁王堂か何かと思ったら鐘楼であった。

 13:00津照寺を出る。国道55号線と旧道を交互に歩きながら、金剛頂寺に向かう山越えの遍路道に入る。途中、蛇が目の前を通る。一瞬止まり、こちらを見たような感じがした。肝を冷やした。
 14:40厄坂の階段を上り金剛頂寺に入山。山門には大きな草鞋が祭られていた。この日は、初めての宿坊に泊まった。宿坊はきれいであり、夕食もり豪華であった。大皿には、鰹や鮪が盛られ、天婦羅などの多くの料理があった。禁酒かと思ったが、ビールもあり、すこぶる快適であった。ここの夕食でも、初対面ながら多くの方と遍ろ談義に花が咲いた。


椎名から24番札所最御崎寺へ      Top

 2012年10月7日(日)6:05の日の出に合わせて海岸に出た。残念ながら、雲が立ち込め日の出を見ることはできなかった。しかし、水平線近くの雲間が赤く染まってくるのをのんびり眺める。気持ちが落ち着く一時であった。
 宿に戻ると食事が始まっていた。皆、早めの準備をしているようである。 7:00民宿椎名を出発。民宿の前から旧道の遍路道を歩く。
 間もなく、国道55号線に入り、7:30室戸ジオパーク日沖・丸山サイトを通過する。風が涼しく気持ちが良い。ジオパークとは、世界的に貴重な地質遺産のある自然公園のことで、国内では5箇所が認定されている。ここ「室戸ジオパーク」は、平成23年9月にユネスコの関連する世界ジオパークネットワックが認定したとのことである。

 8:10頃、三津浜漁港から再び遍路道に入る。途中、中年のご婦人から声をかけられ挨拶を交わす。再びその方と会い、缶コーヒーとパンを頂く。お礼を言ったものの納め札を渡せなかった。バックに入れてあり、慣れぬとタイミングが難しい。少し歩くとお大師と足湯があるので、そこでゆっくり休んだら良いといわれた。足湯は、深層水を用いているとのことである。また、先日、イタリア人のご夫妻が歩いていたなどと、暫しの会話が楽しい。やはり、旧道を歩くのは良い。
 9:15から20分ほど、青年大師像のお寺、明星来影寺を参拝する。昭和59年に建立された青年大師の大きな像である。少し上ると金色の涅槃像があり、室戸岬と広大な太平洋を望むことができた。大師の自叙伝「三教指帰」には、「土州室戸岬に勤念す。(略)明星来影す」とある
 9:40史跡「室戸岬」の標識があった。灯台がある場所が室戸岬と思っていたが、ここが最先端なのかと記念写真を撮影した。たぶん、このあたりから始まる遊歩道付近全体が室戸岬なのだろう。
 9:40頃から20分ほど、御厨人窟を参拝する。「弘法大使修行之処」と記された2つの洞窟があり、霊場になっている。参拝し納経帳に朱印を頂く。

 10:00、24番札所「東寺最御崎寺」登山口に入山。東寺とは?30分後には、山門に到着した。心地よい上り道であった。
椎名海岸の夜明け 遍路道 遍路道 遍路道
 残念ながら、水平線の朝日
を見ることはできなかったが、
清々しい夜明けであった。
 7:30頃、国道55号線の遍
路道。左手に広大な太平洋を
見ながら歩く。
 7:50頃、国道55号線の遍
路道。遠くに室戸半島が見え
てきた。
 8:10頃、旧道の街中を歩く。
ポストが懐かしい。途中、お接
待を受ける。

明星来影寺山門 青年大師像 涅槃像 室戸岬
 9:20青年大師像のある明星
来影寺に到着。24番札所で
はありませよと言われた。間
違える方も多いようだ。
 星来影寺の青年大師像。
昭和59年11月15日開眼した
21mの青年大師の像である。
 青年太子像から少し上る
と、金色の涅槃像があり、雄
大な太平洋を望むことができ
る。
 9:40頃、室戸岬の標柱があ
った。付近を散策する。近くに
は、弘法大師行水の池があ
る。

室戸岬ヒシャゴ岩 室戸岬遊歩道 御厨人窟 御厨人窟
 中央に見える岩がヒシャゴ
岩である。地層に貫したマグ
マが、地殻変動により垂直に
回転したものである。
 室戸岬の突端まで遊歩道が
整備されているらしい。
 9:40頃、御厨人窟参拝。
「弘法大使修行之処」の標柱
がある。霊場になっている。
 洞窟で修行のしていたころ、
明星が口に飛び込んだことで
求開持法が成就したとことを
悟ったという

国道から登り道へ 遍路道 捻岩(ねじりいわ) 最御崎寺山門
 10:00国道55号線から参道
となる登り道に入る。
 10:10頃の遍路道。最御崎
寺まで上っていく。
 上りの遍路道の途中、捻石
がある。大師が念仏を唱え、
異変を治めたとされている。
 10:30最御崎寺の山門に到
着する。約30分の適度な登
り道であった。


24番札所 室戸山 最御崎寺        Top 

 10:00、24番札所「東寺最御崎寺」登山口から入山。金剛頂寺の西寺に対し東寺と呼ばれている。10:25山門に到着。土佐の国の1番札所である。足利尊氏は、この寺を土佐の国の安国寺としたそうである。心地よい上り道であった。11:00頃まで最御崎寺を参拝。参拝後、5分ほど歩くと室戸岬灯台である。観光客もいなく一人雄大な太平洋に眺め入った。
山 門 鐘 楼 鐘 石 多宝塔
 10:30山門到着。土佐の国
の1番に入る。
 現在は、別に鐘楼がある。  くぼみにあるで叩くと鐘の
ような音がするらしい。凡人に
は、うまくいかぬ。

本 堂 大師堂 宿 坊 室戸岬灯台
 ユースホステルにもなって
いる。30年前のユースの旅
を思い出した一時であった。
 11:10頃、お寺から5分ほど
で室戸岬の灯台に着く。観光
客はいない。


24番札所最御崎寺から25番札所津照寺へ       Top

 お寺から室戸岬の灯台までは、5分ほどのわずかの距離である。観光客で賑わっているかと思ったが、誰も居なく、雄大な太平洋を一人見入った。海原の一筋の船の跡に引き込まれる。
 室戸岬は、明治32年(1899年)4月1日に完成したものである。改修が重ねられ、現在では、日本一の一等レンズで約49kmまで光が届くという。
 11:10頃、山門まで戻り、遍路道を25番札所に向けて歩く。車で来る場合は、こちら側に駐車場がある。暫くすると、視界が開け眼下に室戸市の風景が飛び込む。素晴らしい眺めである。途中、すれ違う老人から「あと1里で津照寺だから、がんばれ」と声をかけられる。「1里」がいい。この後、旧道と国道55号線を交互に通りながら歩く。
 12:00頃、室戸岬港(津呂港)を通過。土佐日記で有名な紀貫之の泊舟の碑がある。辺りは、秋祭りの神輿で賑わっていた。いたる所に「昭和9年9月21日海○(三水偏に隷の旁)襲来地点」の標識がある。たぶん津波ではないかと思う。

室戸岬灯台 遍路道 室戸岬港 遍路道
 賑わっているかと思ったが、
誰も居ない。、雄大な太平洋
を一人見入った。海原の一筋
の船の跡に引き込まれる。
 11:20頃、観光道路を下る。
突然現れる室戸市街を望む
風景は美しい。
  12:00頃、室戸岬港(津呂
港)を歩く。土佐日記で有名な
紀貫之の舟泊の碑がある。
 当日は、秋祭りで、至る所で
神輿や山車をに出会った。


25番札所 宝珠山 津照寺             Top

 12:50頃、津照寺到着。室戸岬港(津呂港)を見下ろす小高い山の上にある。かっては、海上からの目当山になっていたようである。124段の石段を登ったところに本堂がある。山門から本堂に向かう途中に中国風の建物があった。仁王堂か何かと思ったら鐘楼であった。帰りに鐘が目に入り分かった。太子堂の前のベンチで、今朝、お接待で頂いたパンで昼食をし、暫しの休憩をした。
参 道 山 門 津照寺境内 鐘 楼
 12:50頃山門に到着  中国風の建物は、仁王堂か
と思ったら鐘楼であった。

本 堂 大師堂 宿 坊 境内からの街並み


25番札所津照寺から26番札所金剛頂寺へ        Top

 13:00津照寺を出て26番札所金剛頂寺に向かう。ここで、昨日同宿の方と出会い挨拶を交わす。14:10頃、民宿うらしま前を通過。金剛頂寺まで約2kmの表示があった。暫く歩くと自動車道から山道に入る。工事車両が路上に止めてあり、山道入り口の標識を見落とすところであった。14:40頃、金剛頂寺の参道駐車場に到着する。途中、蛇が目の前を通る。一瞬止まり、こちらを見たような感じがした。蝮かどうかは分からなかったが、1mほどの長さ、肝を冷やした。
遍路道 遍路道から 遍路道の民宿 遍路道
 10:30頃、川辺、海辺に沿っ
て歩く。
 13:50頃、室戸市内を歩く。
長閑な風景が続く。
 14:00頃、民宿「うらしま」前
を通過。金剛頂寺の登り口近
くにある。
 14:20頃、自動車道から歩き
の遍路道に入る。道標が小さ
く、路上駐車の車両で見過ご
すところであった。

遍路道 遍路道からの眺め 遍路道 駐車場
 14:30頃、山道を登る。  遍路道からの眺め。室戸市
街が眼下から続き広がる。
 14:40には、自動車道に出て
金剛頂寺への参道に続く。
 金剛頂寺の駐車場。コンテ
ナを利用した店がある。


26番札所 龍頭山 金剛頂寺             Top

 14:40お寺前の駐車場に到着。厄坂の階段を上る。山門には大きな草鞋が祭られていた。縁起によれば、大同2年(807年)平城(へいぜい)天皇の勅命を受け建立され、嵯峨天皇により国家鎮護道場とされた古刹である。
 本堂、太子堂を参拝し、15:25宿坊に入る。宿坊はきれいであり、ホテル並みである。風呂上りにはの缶ビールは、格別である。ロビーの冷蔵庫から勝手に飲み、翌日、自己申告で支払うシステムである。遍路とはいえ、賽銭泥棒も蔓延る昨今、真に有難い気持ちになる。 18:00から約2時間の夕食。宿坊は初めてであったが、質素な精進料理を思い浮かべていた。煮付けの小鉢に天婦羅、茶碗蒸し、大皿には、鰹や鮪が盛り合され、豪華な料理であった。ここでも、初めての面々だが、遍ろ談義に花が咲いた。東大阪から来た二人連れは、漫才師のような会話を披露していた。広島からの老夫婦の広島弁には、昔お世話になった広島の方を思い出し、懐かしく思った。また、ロッジ尾崎からの一団(尾崎で知り合ったらしい)とも楽しく過ごせた。
 翌朝は、6:00から護摩堂で朝のお勤めをする。白装束に輪袈裟の遍路装束で蝋燭と線香を立てる。開経偈(かいきょうげ)から順番に経本にある全てのお経を唱えた。その後、和尚からお説法があった。
 ○ 遍路の着る白装束は、死装束であり、金剛杖は墓標である。自然に身を任せ、どこで死んでもよいという覚悟を示すものであるとのことである。
 ○ 四国霊場は、辺地に多い。修行の霊山と川辺、海辺にお寺が多いのが特徴である。水は、三途の川であり、彼岸と此岸の渡しにお寺がある。
 ○ 逆打ちは、旅行者のPRで、本来の意味は定かではない。順打ちでは、いつも弘法大師の後を追うが、逆打ちでは大師に会えるとの考え方もあるらしい。
 ○ 修行の道場と言われているのは、当地は、台風も多く、冬は、いつも10mの風が吹いている厳しい土地柄から着たものである。
 ○ 2014年は、四国八十八箇所1,200年の記念行事が予定されている。
 初めての宿坊であったが、敷居の高い印象から身近な快適な宿に変わった気がする


厄 坂 山 門 境内からの遠望 鐘 楼
 14:00観音頂寺の参道に到
着。厄坂を登り入山する。
 草鞋が祭られている。

本 堂 大師堂 一粒万倍の釜 金剛定額
 弘法大師が炊くと、お米が
万倍に増えたという。

宿 坊 宿坊の部屋 夕 食 護摩堂
 きれいに整備されている。
ホテルと遜色なく快適であっ
た。
 地の魚が並ぶ美味しい夕食
であった。
 朝のお勤めの場所である。
荘厳な雰囲気の中での気が
引き締まる朝を過ごした。


13日目

  2012年10月8日(月)歩き遍路13日目である。6:00から宿坊と連なっている護摩堂で朝のお勤めをする。遍路開始から初めての経験である。荘厳な中に清々しさがあった。その後、和尚からお説法があった。
 7:30宿坊を出て歩き始める。途中、9:20頃、白壁と水切り瓦の町、吉良川町を歩く。国の重要伝統的建物群保存地区に指定されている。町並みは、蔵や旧家が並び、思わず歩きがゆっくりになった。
 10:10頃、中山峠越えの山道に入る。町並みを臨む良い眺めである。気分爽快になる。約1時間で峠を越えて、再び、海岸に沿って歩く。
 12:30奈半利駅到着する。金剛頂寺から18kmである。頑張って9km先の唐浜から電車に乗ろうかとも思ったが、駅前の1本のビールで気が萎えた。御免駅から奈半利駅までは、土佐くろしお鉄道の「ごめんなはり線」語呂がよい。駅のベンチで着替えをし、13:05の快速電車で御免駅に向かう。約1時間で御免駅に到着した。御免駅からは、JR特急南風で帰る。



26番札所金剛頂寺から奈半利駅へ        Top

 歩き遍路13日目である。6:00から宿坊と繋がっている護摩堂で朝のお勤めをする。白装束に輪袈裟の遍路装束で蝋燭と線香を立てる。開経偈(かいきょうげ)から順番に経本にある全てのお経を唱えた。
 宿坊は、2食付で6,000円と安い。ビールは、飲んだ数を自己申告して精算する仕組みも面白い。賽銭泥棒もいる昨今、一夜限りの遍路を信じていただけるのも嬉しい。本来、日本人とは、こうなのだと、ふと思う
  7:30宿坊を出発する。同宿の遍路の方は、今日は、唐浜「浜吉」に宿泊するとのこと。民宿の主人から、14:00までに唐浜に来たら神峯寺を往復できるとアドバイスを受けたとのこと。次回の目安になる。遍路宿らしい言葉である。
  9:20白壁と水切り瓦の町、吉良川町をのんびり歩く。水切り瓦とは、強い風雨から土佐漆喰の壁面を守る水切りの瓦で、壁に瓦が突出しているものである。国の重要伝統的建物群保存地区に指定されている。のんびり歩いていると、静岡からの遍路、松坂からの遍路の方と会い、暫し一緒に歩く。
 呉服屋に祭りの神輿に付ける飾りを見つけ覗き込むと女将がいろいろ説明してくれた。昨日が祭りで2年に1回の盛大なものであるとのこと。町並みは、蔵や旧家が並び、思わず歩きがゆっくりになった。
 10:00羽根川橋を渡る。遠くに羽根岬の灯台が見える。たぶん、灯台のある岬の山を越えると奈半利ではないかと思う。10:10羽根岬の峠越えに入る。山道の入り口までは、迷路のようにアパートや民家の中を歩く。幸い、遍路標識が多くあったので迷うことはなかった。たぶん、地図では分からない。
 10:30頃から40中山峠の山道に入る。途中、町並みを臨む良い眺めもあり気分爽快になる。11:20頃には、海岸に沿う国道55号線を歩く。
 ここに、弘法大師霊蹟の碑があったので参拝。ただし、どのような霊蹟か、いわれが分からない。暫くすると、いかにも疲れて歩いているような遍路に追いつく。持病があるのでゆっくりと歩くのだという。いろいろな事情や思いがあって、皆、黙々と歩くのだろう。昨日、吉良川町の民宿「蔵」に宿泊したとのこと。良い民宿であったとの情報を得た。
  12:30奈半利駅到着。頑張って9km先の唐浜から電車に乗ろうかとも思ったが、駅前の1本のビールで気が萎えた。御免駅から奈半利駅までは、土佐くろしお鉄道の「ごめんなはり線」語呂がよい。駅のベンチで着替えをし、13:05の快速電車で御免駅に向かう。約1時間で御免駅に到着した。駅の売店でビールと巻き寿司を買う。電車では、静岡の遍路と同席。一人ビールを飲んで申し訳ない気がしたが、美味いビールであった。御免駅からは、JR特急南風で帰る。御免駅でJRの切符を買うも、本日は指定満席。三連休の最終日なら仕方がない。駅で遍路ですかと声をかけられ、これで汗を拭いてくださいと深層水のエウットティシュを頂いた。これもお接待である。感謝、感謝。
宿坊からの眺望 護摩堂 遍路道 吉良町の遍路道
 6:00頃、宿坊の部屋からの
眺め。室戸岬から間もなく日
が昇る。
 6:00から、護摩堂にて朝の
お勤めに参加した。30分ほど
であったが、清々しい気持ち
になった。
 7:30頃の遍路道。お寺の宿
坊を出て間もなくの地点。こ
れから、山を下りていく。
 8:40吉良町の街並みをゆっ
くり歩く。壁に屋根のように見
えるのが水切り屋根である。

吉良町の街並み 神 輿 遍路道 遍路道からの眺め
 吉良町の町を寄り道しなが
ら歩く。
 御田神社に奉納されている
御神輿。昨日がお祭りであっ
た。
 10:30頃、中山峠の上り道に
入る。迷路のようで分かり難
いが、遍路標識に助けられた。
 0:40頃、遍路道から室戸市
を望む。良い眺めである。

遍路道 遍路道のシール 弘法大師霊蹟の碑 遍路道
 10:50頃、峠付近の台地を歩
く。静かである。
 初めて見る「×」の遍路シー
ル。確かに間違えやすい。
 11:20頃、弘法大師霊蹟の
碑があったので参拝。謂れが
分からない。
 11:40頃、奈半利に向かう途
中の遍路道から眺める海岸。

奈半利駅 土佐くろしお鉄道 後免駅 あんぱんまん列車
 12:30頃、奈半利駅に到着。
土佐くろしお鉄道「ごめんなは
り線」語呂がよい。
 11:03の快速電車に乗車。
約1時間で後免駅に到着した。
 JRと土佐くろしお鉄道の駅
である。駅前は、寂しい。
 JR特急、南風で帰る。アン
パンマンが描かれた派手な列
車である。


14日目

 2012年(平成24年)11月22日(木)歩き遍路14日目である。前日に大阪発奈半利行きの夜行バスに乗る。若い時は、度々利用したが、久々の夜行バスである。ほろ酔い気分で夜景が疎らになっていくのは郷愁を覚える。以前、眠れなかった経験があったが、歳のせいか熟睡できたような気がした。
  7:05定刻より30分早く奈半利駅バス停に到着。雨が降っている。天気予報どおりである。風もあり寒く感じる。駅の高架下のベンチで白装束に着替え、雨合羽を着て出発する。修行の国に見合った日である。
 10:10には、神峯寺に到着した。雨合羽の中は、汗びっしょりである。雨合羽を脱ぐと凍えそうな寒さであった。当日は雲の立ち込める雨の日であったが、登山道の途中では、眼下の雲としっとりとした風景を望むことができた。晴れ渡る風景とは異なり、何か落ち着いた寂しい風景も趣がある。13:00頃には、安芸市に入り、迷いながらも15:50安芸市内の小松旅館に到着する。田舎の昔風の旅館である。鰻の寝床のような細長い建物である。如何にも遍路宿と云った風情が漂う心地の良い旅館であった。


奈半利駅から27番札所神峯寺へ        Top

 7:30土佐くろしお鉄道ごめんなはり線「奈半利」駅前を出発する。雨のため、雨合羽を着ての歩きとなる。8:10頃からは、海岸に沿った国道55号線を歩く。鉛色の空と海は、沈んだ気分にさせ、雨と寒さは、修行の地を実感させられる。
 8:40国道55号線から神峯寺への登山道に入る。途中、山道に入る遍路道があったが、雨で滑り易いのが心配であったので自動車道を歩くこととした。1時間30分程で山門に到着したが、カッパの中では、相当に汗をかいていた。
奈半利駅 遍路道(国道) 参 道 参道(遍路道)
 7:30奈半利駅を出発する。  海岸線に沿った国道55号
線を雨の中歩く。
 神峯寺の登山道を歩く。
今回は、足元が悪いので自
動車道を主に歩いた。
 遍路道には、所々に塚の
ようなモニュメントが見られる。


27番札所 竹林山 神峯寺             Top

10:10お寺の駐車場に到着。お寺駐車場でカッパを脱ぐと,流石に寒い。駐車場には、一軒の茶店があり、その軒先をお借りして身繕いをした。店内を覗き込むと「ドライブイン27神峯店」の暖簾がかかっていた。国道沿いにもドライブインがあり宿泊もできると聞いている。
 寺の縁起によれば、当初天照大神が祀られ、後に行基が十一面観音を刻んで安置し、神仏を合祀している。大同四年には勅命によって観音堂と名づけられている。山門は龍園尼の発願で建立、本堂、大師堂は急な山の斜面に建てられている。晴れていれば、眼下に美しい青い海原が望まれるようである。残念ながら、当日は雲の立ち込める雨の日であったが、雲が景色を遮り、幻想的な風景を醸し出していた。
 納経所の前には、通夜堂のような建物があり宿泊できる様子であった。後に、逆打ちの遍路から宿泊できないと聞く。最近、遍路で生活している人とのトラブルが多く、通夜堂を閉鎖するお寺が増えてきたとのことである。

 三菱財閥(グループ)を築いた岩崎弥太郎は、この付近の出身であり、母は、幕末のころ弥太郎の成功願い、真っ縦(まったて)と呼ばれる急な山道を徒歩で登り、21日の間20km離れた家から神峯寺へ日参したとの逸話も残っている。

仁王門 境内参道 境内の庭園 境 内
 11:20山門に到着する。山門
には句碑「お遍路に春告鳥の
啼きそめぬ」朝洋がある。
 境内の庭園を見ながら階段
を上り本堂に向かう。
 境内にある日本庭園。
紅葉に彩られた境内を廻る。
南国の秋を感じる。

本 堂 大師堂 境 内 通夜堂
 通夜堂。内部は整備され
ている。


27番札所神峯寺から安芸市へ        Top

 11:40には山を下りることとした。途中、登ってきた登山道から農道を下り、12:40唐浜駅に到着した。待合室に「寝泊まり禁止」の看板が立っていた。寝るには良さそうな場所である。たぶん、野宿の歩き遍路が泊まり、無作法なことをするのだろう。大山岬には、波が浸食した海岸に地蔵堂があり参拝する。近くの道の駅「大山」には、「ちりめん丼」の旗が翻っている。昼食を済ませた後のため、次回には食したいと思い後にする。
 14:15防波堤の道に入る。結構長い。40分ほど歩くと、自転車の方が通り過ぎたと思ったら、引き返してきて、この先は行き止まりと教えてくれた。親切に、感謝。15:30安芸川橋を渡り、安芸市内で道に迷う。15:50予約した小松旅館に到着する。田舎の昔風の旅館である。鰻の寝床のような細長い建物であるが郷愁を誘う佇まいの宿である。
唐浜駅(待合室) 駅の注意看板 国道55号線を歩く 大山崎の岬
 11:40に神峯寺を下山、約
1時間で麓の唐浜駅に到着
する。
 駅待合室の前に立てられて
いる看板。遍路こそ、ちゃんと
歩きたいものである。
 この辺りには「文旦」が多く
栽培されている。夏ミカンを更
に大きくしたものである。
 13:50頃、国道を離れて大山
崎に向かう遍路道に入る。

地蔵堂 遍路道からの眺め 防波堤路の遍路道 安芸市の旅館
 大山崎岬の地蔵堂。  大山崎岬付近の遍路道
からの眺め。
 防波堤路の遍路道。
14:30頃から40分ほど歩く。


15日目

 2012年(平成24年)11月23日(金・祝)歩き遍路15日目になる。7:10安芸市内の旅館を出発。旅館前の旧道を真っ直ぐ歩き、カリヨン広場から安芸ドームや16mの日本一高い防波堤を眺めながら海岸線を歩いた。暫く歩くと「自転車道」に入る。自転車道は、夜須町(香南市)サイクリングターミナルを中心に広く整備されている。時期のせいか自転車は少なく、歩きやすい遍路道にもなっている。
 途中、海岸に面した場所に建立されている極楽寺参拝し、広大な琴浜を見渡しながらのんびりと歩いた。10:30頃だと思うが、荷物を一杯に積んだ自転車の逆打ち遍路とすれ違う。結構年配に見えた。挨拶を交わしただけであるが、眼光鋭く、必至さが見られる何か異様な雰囲気であった。
 正午ごろ、「道の駅やす」を通過し、13:00には、安芸市から20km程にある本日の宿「旅館かとり」に到着した。時間が早いので、旅館に荷物を預けて大日寺に向かう。約1時間で参道に入る。15:50には、大日寺を往復し旅館に戻ってきた。大きな旅館であったが、カシオワールドオープンのボランティア等で満室とのことであった。久々に大きな風呂で体を伸ばし疲れを取った。


安芸市の旅館から28番札所大日寺へ              Top

 7:10安芸市内の旅館を出発。旅館前の旧道を真っ直ぐ歩けば、遍路道となると女将から聞いていたので、そのコースを歩く。30分ほど歩くとカリヨン広場に到着する。山側に安芸ドームが見え、海岸には「日本一高い防波堤16m」の表示が見える。暫く歩くと「自転車道」に入る。自転車道は、夜須町(香南市)サイクリングターミナルを中心に広く整備されている。時期のせいか自転車は少なく、歩きやすい遍路道にもなっている。赤野付近は、桜並木になっている。春は、ことさら良い気分で歩くことができると思う。
 途中、海岸に面した場所に建立されている極楽寺参拝し、広大な琴浜を見渡しながらのんびりと歩く。海岸に出ると、浜辺近くまで船が寄り付いている。2隻が対になり人が歩くような速さで浜辺に沿って並走している。たぶん、地引網を引いているのだろう。ボーと眺めていると飽きない風景である。
 10:30頃だと思うが、荷物を一杯に積んだ自転車の逆打ち遍路とすれ違う。結構年配に見えた。挨拶を交わしただけであるが、眼光鋭く、必至さが見られる何か異様な雰囲気であった。一生を遍路で過ごしているのではないかとふと思った。
 暫くすると、大阪から来た逆打ちの遍路と会い、遍路談義を聞く。野宿が趣味だとか。最近、職業遍路(?)が多く、お寺とのトラブルも多い等のいろいろな話してくれた。がっしりとした修行僧のような風体であった。
 正午ごろ、「道の駅やす」を通過する。「道の駅やす」の手前では、危うく道に迷うところであった。間違えて国道を渡ると、老婆が大声で「違う!!こっちだ、こっちだ!!」と叫んでくれた。大いに助かった。「道の駅やす」は、人でいっぱいである。今週は、ゴルフトーナメントのカシオワールドオープンが開催されているためである。道の駅で休憩と思ったが通り過ぎることとした。
 13:00には、安芸市から20km程にある旅館「かとり」に到着した。時間が早いので、旅館に荷物を預けて大日寺に向かう。旅館を出ると直ぐに雨が強くなってきたので山門までカッパ姿で歩くこととなった。約1時間で参道に入る。15:50には、大日寺を往復した。旅館は、大きな建物が2棟あるが、カシオワールドオープンのボランティア等で満室とのことであった。久々に大きな風呂で体を伸ばし疲れを取った。
遍路道 安芸ドーム 遍路道 遍路休憩所
 安芸市内の遍路道。旧家
には水切り瓦が見られる。
 カリヨン広場から見る安芸
ドーム。
 自転車道を歩く遍路道。
サイクリングターミナルを中心
に広く整備されている。
 9:30頃、遍路道にある接待
所で一休み。

 琴ケ浜海岸  琴ケ浜海岸 遍路道 善根宿
 琴ケ浜海岸では、浜辺に乗
り上げそうな距離で船が並走
していた。
 長く延びる琴ケ浜海岸。  松並の中を通る遍路道。左
手には海が広がり、気持ちが
良い。
 善根宿「はぎもり」は、鉄道
の高架下に5件の小屋が並ん
でいる

遍路休憩所 遍路道の雑貨屋 龍馬歴史館 遍路道
 ウエルプラザ洋寿園(特別
養護老人ホーム)の一角に
「へんろ休憩所」があった。冷
たいお茶を頂いた。入居され
ている方々が運営されている
ようである。
 古風な雑貨屋があった。  大日寺への途中に龍馬歴
史館があった。
 農家の間を通る遍路道。
間もなく大日寺である。


28番札所 法界山 大日寺             Top

 14:10山門に到着。大日寺は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が本尊の大日如来を作り開基した。弘仁6年(815年)に弘法大師が再興したお寺である。奥の院には、弘法大師が爪で彫ったとされる薬師如来が祀られている。本堂、大師堂を参拝し、少し足を延ばし奥の院である薬師如来も参拝した。
 途中出会った遍路の言っていた通夜堂を外から見て下山した。駐車場の銀杏は見事に色づいていた。

 旅館への帰路の途中、横に車が止まり、年配の女性から車で送ろうかと言われた。乗って帰りたかったが、口から出たのは断りの言葉になってしまった。人の好意を素直に受けるようにならねばと反省した次第である。思ったより難しいものである。
山 門 本 堂 大師堂 境内の庭園
通夜堂 奥の院への道 奥の院薬師堂 駐車場の大銀杏


16日目

 2012年(平成24年)11月24日(土)、歩き遍路16日目になる。朝食では、久々にテーブルに同席者がいた。カシオワールドオープンゴルフのギャラリーとして来ているとのことである。遍路も車で50回を重ね、先達の資格を取る予定にしているとのことであった。一人で車を使って回れば、5、6日で八十八か所を回ることができると話していた。
 7時には旅館を出発する。8時過ぎに物部川を渡ると、広い田んぼが広がる。遠くで大勢の人が畑にいる。後に、農家の方から生姜の収穫をしていると知る。田圃は、収穫の後に再び目が生え、所々には、実っている稲も見られた。二期作で有名な土地柄がよくわかる。遍路道に沿って、多くのハウスでニラを栽培していた。また、所々の畑に、枯れた葉のようなものが栽培されていた。この枯れた笹のような葉のものが生姜あるとのことであった。
 風は冷たいが、昨日までの雨とは異なり晴れている。シャツ1枚で快適に歩くことができた。ススキが見ごろで南国の秋を感じる。

 9時ごろ「松本大師堂へんろ小屋」に到着する。ここで、逆打ち遍路と会う。熱心に人生を語っていた。太子堂へんろ小屋の手入れから、地元の方々の熱心な信仰が伝わってくる。
 10:20国分寺に到着する。土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人であり、『土佐日記』を書いた紀貫之(西暦900年頃)と縁が深いと聞く。

 11時頃には、善楽寺に向かう。7kmの標識があった。12:20逢坂峠を越えて、南国市から高知市に入った。
 13時前、30番札所善楽寺の山門に到着したと思った。しかし、仁王門と思ったのは、土佐神社の楼門であった。ここは、仁王ではなく門守神像が守っていた。この勘違いが後に道に迷う原因になった。土佐神社の長く続く参道を歩き、大鳥居の右手に善楽寺があった。山門を入ると、大きな十一面観音が出迎えてくれる。
 13:30下山する。楼門を出て直進するところを右折し県道に沿って歩き始めた。地図にある土佐神社の参道を県道と勘違いしたようである。

 15:30頃、路面電車の通りに出る。この日は、ここで断念し、ちんちん電車で高知市内の宿に行くことにした。「菜園場町(さえんばちょう)」が最寄駅である。方言で「さいえんば」が「さえんば」に訛ったとのこと。宿の女将から明日の最終地である雪蹊寺から帰るバス停を聞いて安心した。


香南市の旅館から29番札所国分寺へ              Top

 大日寺まで4kmの旅館「かとり」に宿泊。前日に、大日寺を参拝しているので、本日は、29番札所国分寺を目指すことになる。朝食では、久々にテーブルの同席者が居た。カシオワールドオープンゴルフのギャラリーとして来ているようだ。毎年来ているとのこと。遍路もしているとのことで、話が弾んだ。車での遍路は、50回を重ね、先達の資格を取る予定にしているとのことであった。一人で車を使って回れば、5、6日で回れると話していた。確かに、1日200km程度なので慣れれば可能かもしれない。
 7:00旅館を出発。8:15物部川を渡ると、広い田畑が広がる。遠くで大勢の人が畑にいる。何を収穫しているのだろうか。田圃には、収穫の後に再び目が生え、所々には、実っている稲も見られた。二期作で有名な土地柄がよくわかる。
 遍路道に沿って多くのハウスが見られる。農家の方から話を聞くとニラであった。所々の畑に、枯れた笹のようなものが栽培されていた。先の畑の収穫も同じもので、生姜であるとのことであった。土佐が生姜の産地として有名であることを初めて知る。
 風は冷たいが、昨日までの雨とは異なり晴れている。シャツ1枚で歩くとちょうどよい。ススキが見ごろで南国の秋を感じる。道脇の水路には、稲が1本生えている。稲籾が水路に落ち、引っかかったところに根付いたのだろう。自然のたくましさを感じる。
        水路にも一本生きる稲穂かな    
 9時頃、大日寺と国分寺の中間地点である「松本太子堂へんろ小屋」で休憩する。花も新しく手入れが届いている。近くにトイレもあり、地元の方々が熱心に守っているものと思う。ここで、倍ほどの荷物を担ぐ逆打ち遍路と会う。生き様について熱心に語っていた。9:50「へんろ石まんじゅう屋」を通過。この辺りは、歩道がなく、道幅も狭いうえに交通量が多い。歩きにくい。恐ろしい場面もあった。10:00国分橋を渡り、堤防を歩く。気分は壮快である。20分ほど歩いて国分寺の山門に到着する。ここで、参拝の準備の着衣をして入山する。
香南市の旅館 大日寺参道 遍路道 生姜畑
 7:10旅館「かとり」を出発
する。
 7:50大日寺の参道前を通過
する。
 ニラのハウスや生姜畑の
中を歩く。
 枯れた笹の葉のような生姜
畑。土佐は、生姜の産地との
こと。初めて見る光景である。

松本大師堂 へんろいし饅頭屋 堤防遍路道 門前屋
 地元の方から、大日寺と国
分寺の中間地点と教えていた
だく。へんろ小屋でもあり、手
入れが行き届いている。
 10時頃、へんろいし饅頭屋
前を通過した。道幅が狭く、
交通量が多い。時々、ヒヤリ
とする。
 国分寺川の堤防を歩く。天
気も良く、快適な歩きである。
 10:30国分寺に到着する。
一軒の門前屋が目についた。


29番札所 摩尼山 国分寺             Top

 10:20国分寺に到着する。国分寺は、聖武天皇の勅願により、天平13年(741年)に行基菩薩が開基したものである。土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人であり、『土佐日記』を書いた紀貫之(900年頃)と縁が深いと聞く。紀貫之が4年間滞在した国府は、国分寺から1kmほどにあり「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心になっていたようである。
 11時頃、善楽寺に向かった。
仁王門 参 道 本 堂 大師堂 酒断地蔵尊
 10:30土佐二代藩主山内忠義公が寄進した仁王門から入山する。  仁王門をくぐると、杉木立の中を石畳が天平洋式の本堂まで続く。  寄木造の天平洋式の本堂に向かう。  思わず、手を合わせ願う。お守りを頂くのを忘れた。


29番札所国分寺から30番札所善楽寺へ            Top

 国分寺の納経所の前には、お茶とお菓子のお接待が用意されていた。ありがたく頂戴し、暫し休憩した。11:00善楽寺に向け歩き始めた。門前には、善楽寺まで7kmの標識がある。
 20分ほど農道を歩くと農道から大きな次号者通に出る。左に「岡豊大橋」が見える。強引に大通りを横切ると「×」の印が目に入る。大通りをくぐる道があったようである。考え事をして見逃したようである。
 12:20頃、逢坂峠を越え、南国市から高知市に入る。
 30分ほどで山門に着いたと思ってしまった。ここは、土佐神社の楼門であり、仁王ではなく門守神像が守っていた。これを仁王門と思ったのが次への道に迷う原因となる。土佐神社の長く続く参道を歩き、大鳥居の右手に善楽寺があった。

遍路道 遍路道 遍路道から ヘンロ小屋
 国分寺を出て、暫くの間、
農道を歩く。写真は11:10頃。
 12:00頃、緩やかな遍路道を
登る
 遍路道に沿うように樽のよう
なものが並んでいる。何だろ
うか?
 11:20頃、ヘンロ小屋(第五
号)蒲原を通過する。

土佐神社楼門 土佐神社縁起 土佐神社参道 土佐神社大鳥居
 自動車道から最初に目に
入った門。仁王門と思ったら
土佐神社の楼門であった。
 楼門から土佐神社の参道
が長く伸びる。
 長く伸びる参道の先には大
鳥居がある。鳥居の右手に山
楽寺の十一面観音が迎えてく
れる。


30番札所 百々山 善楽寺             Top


 土佐神社の長く続く参道を歩き、大鳥居の右手に善楽寺があった。山門を入ると、大きな十一面観音が出迎えてくれる。境内は、広くはないが、何か奥行きを感じ、ゆったりとできた。
 この辺り一帯は、「神辺郷」といわれ、土佐では最も古くから栄えた所である。お寺の縁起によると、桓武天皇(在位781〜806)の後の大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。土佐の豪族、長宗我部元親公の帰依が厚く、後には、土佐2代藩主・山内忠義公の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめたようである。明治政府による廃仏毀釈の難を受けて寺運は一変し、昭和4年に再興されるまで苦難の日々が続いたようである。
善楽寺の十一面観音 境 内 本 堂 大師堂
 善楽寺の正面には、十一面
観音が遍路を出迎える。
 手入れの行き届いた境内を
歩く。


30番札所善楽寺から高知市内の宿へ             Top

 13:30下山する。楼門を出て直進するところを右折し県道に沿って歩き始めた。地図にある土佐神社の参道を県道と勘違いしたようである。暫く歩き、若いご婦人に聞くと、この道で良いとのことであった。その後、地図をしげしげと眺めているとバイクに乗った中年の男性から方向が違うと教えてくれた。近道もあるようだが、歩き遍路道への入り方がよく分らぬので、楼門に戻ることにした。
 14:00楼門に戻る。すると、バイクの方は、心配でついてきてくれたようである。その方も遍ろ経験者とのことで、約20分間の遍ろ講釈を聞くこととなった。今日は良く道に迷った。市内は道に迷いやすいと、その方にも言われた。なるほどと思う。
道 標 遍路道 遍路道 遍路道
 楼門の脇にある消火栓に
張られた遍路シール。見落と
してしまい迷った。
 水路に沿ってのんびり歩く。
迷った後で安心感もある。
 15:00頃、国分川、下の瀬
大橋を渡る。
 県道44号線の大通りを歩

遍路道から ちんちん電車 高知市内 今日の宿
 舟入川から高知市内を望む
。まだ、15:30頃だが、南国
と言えど暮は早い。
 宿の関係で高知市内に路
面電車で行く。「文殊通り駅」
から、懐かしい”ちんちん電車
”で高知市内に向かう。
 菜園場町と書いて「さえんば
ちょう」と言う。宿の女将に何
度も聞き返した駅で降りた。
 土佐別館に宿泊。遍路価格
があり、2食付で5,500円は有
難い。


17日目

 2012年(平成24年)11月25日(日)7:00前に高知市内の宿「とさ別館」を出る。市内電車で昨日の「文殊通り」に向かい、7:30頃から竹林寺に向け歩き始める。途中、畑一面に蓮華のような花が咲いていた。幼いころ、蓮華畑で遊んだことを思い出し、懐かしく思った。
 8:00頃には、牧野植物園に到着する。遍路は、無料で通り抜けができる。園内は良く整備され、途中からは竹林寺の五重塔が見えるが、出口が分かり難い。園内の温室近くを行ったり来たりしたが聞く人もいない。トイレを借りようかと思いトイレの方を見ると、トイレの脇に小さな出口の標識があった。牧野植物園の正門のすぐ横の通用口から出る。8:15山門に到着する。紅葉が見事な境内である。この日は、快晴である。太子堂前でお経を唱えていると静寂な中に冷気が吹き抜ける。暫くの間、佇んでいた。五重塔前まで登り、紅葉の隙間から望む境内は美しさの中に荘厳さがある。

 9:00頃には下山を始める。農道に並行する遍路道を歩き、県道247号線を歩く。途中、幕末の土佐藩士ゆかりの史跡もある。
 10:10頃、禅師峰寺への登り口に到着し、5分後には山門に到着した。40分ほど参拝した。境内からの太平洋の眺望は素晴らしい。快晴のため、海岸線がくっきりと綺麗に見える。おそらく海岸線の先が桂浜であろう。
 下山の後は、農道の遍路道を歩く。海岸線に近いせいかアップダウンもなく単調な感じがする。途中、迷う場面もあったが、12:05渡し船場に到着した。遍路地図の時刻表通りの12:10の舟に乗船することができた。途中、駄目かと思ったが、懸命に歩いた甲斐があった。渡し船は、小さな船で、5分程で対岸に到着する。桂浜経由よりは随分距離が短縮できた。料金は無料。徒歩のほか、自転車、バイクの方も居て、約10名の乗客である。歩き遍路も一人いた。
 12:40頃には、33番札所雪蹊寺の山門に到着した。参拝の後、13:10雪蹊寺を後にする。どうやら地図は苦手のようである。危うく反対方向に歩くところであった。山門を出て来た道を戻り、長浜病院の交差点を北に向かう長浜バス停から高知駅に向かい、この日は終わった。


高知市内の宿から第30番札所竹林寺へ          Top

 7:00前に高知市内の宿「とさ別館」を出る。市内電車で昨日の「文殊通り」に向かい、7:30頃から竹林寺に向け歩き始める。途中、畑一面に蓮華のような花が咲いていた。幼いころ、蓮華畑で遊んだことを思い出し、懐かしく思った。
 8:00頃には、牧野植物園に到着する。遍路は、無料で通り抜けができる。園内は良く整備され、途中からは竹林寺の五重塔が見えるが、出口が分かり難い。園内の温室近くを行ったり来たりしたが聞く人もいない。トイレを借りようかと思いトイレの方を見ると、トイレの脇に小さな出口の標識があった。牧野植物園の正門のすぐ横の通用口から出る。
 8:15山門に到着する。紅葉が見事な境内である。


文殊通駅 遍路道から 遍路道 遍路道
 7:20「文殊通駅」から17日
目の歩き遍路を始める。この
日は、三か寺を参拝し、大阪
に帰る予定である。歩く距離
は18km程度ながらハードで
ある。
 蓮華畑のようなピンクに染
まる畑。今は、冬、何が咲い
ているのだろうか?
 7:40五台山への登り口に差
し掛かる。
 7:50の遍路道、のんびり五
台山を登る。

遍路道 遍路道から 牧野植物園案内図 牧野植物園出口
 牧野植物園に入る。歩き遍
路には無料で道を提供してく
ださっている。
 牧野植物園から望む竹林
寺の五重塔。しかし、出口が
見当たらない。危うく、反対方
向に下るところであった。
 広々としてゆったりとしてい
る。一日のんびりと過ごしたい
ものである。
 8:10やっと出口を見つけて
竹林寺に向かう。


31番札所 五台山 竹林寺             Top

 8:15山門に到着する。紅葉が見事な境内である。この日は、快晴である。大師堂前でお経を唱えていると静寂な中に冷気が吹き抜ける。暫くの間、佇んでいた。五重塔前まで登り、紅葉の隙間から望む境内は美しさの中に荘厳さがある。
 竹林寺は、学僧・名僧があつまる学問寺院であり、「南海第一道場」と言われている。臨済宗の高僧、夢窓国師(1275〜1351)が山麓に「吸江庵」を建てて修行し、竹林寺の庭園は、夢想国師の作とされている。
 縁起では、神亀元年ころ、聖武天皇(在位724〜49)が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は、行基に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じた。行基はこの地ふさわしいと、文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建て安置し、その後、弘法大師が荒廃した堂塔を修復し霊場にされたという。慶長6年(1601)に山内一豊が土佐初代藩主になって以来、歴代藩主の帰依が厚く栄えたお寺とのことである。
入 山 山 門 境 内 本 堂
 牧野植物園側の入り口から
入山する。
 紅葉の道が深まる秋の匂い
を醸し出す。

大師堂 五重塔 境 内 境 内
 古くは三重塔があったが、
台風で倒壊し、昭和55年に
五重塔として再建したもので
ある。
 紅葉が美しい。


31番札所竹林寺から32番札所禅師峰寺へ          Top

 竹林寺を下山後、大きな農道に沿うように遍路道を歩く。県道247号線では、幕末の土佐藩士ゆかりの史跡もある。土石池付近では、高知市のベットタウンのような新興住宅の街並みの中を歩く。
 10:10頃には、禅師峰寺への登り口に着く。本堂へ340mの標識があり、10分程で山門に到着した。

山 門 遍路道 遍路道から 遍路道
 8:50竹林寺の山門を後にす
る。
 五台山を下山する。  幕末の史跡が各所にある。
ここはには、武市半平太に由
来する史跡がある。
 ベットタウンと思われる市街
地を歩く。

遍路道から 遍路道(参道口) 遍路道 山 門
 土石池に沿って歩く。  10:15山門が見える。最後の
階段を上る。


32番札所 八葉山 禅師峰寺             Top

 登山口から10分ほどで山門に到着する。10:20山門をくぐると、岩場の前の不動明王が目に入る。禅師峰寺は、土佐湾の海岸に近い標高82mほどの峰山の頂上にある。海の安全を祈願して建立されたことから、「船魂の観音」とも呼ばれている。
 
江戸時代の参勤交代では、漁師たちに限らず、浦戸湾から出航する。歴代の藩主たちは、みなこの寺に寄り航海の無事を祈ったという。
 縁起によると、行基が聖武天皇(在位724〜49)の勅命により、土佐沖を航行する船舶の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされている。後に、大同2年、奇岩が立ち並ぶ境内を訪れた弘法大師は、その姿を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域であるとし、自ら十一面観世音菩薩像を彫造して本尊とされ、「禅師峰寺」と名付けたとされている。
 本堂前の奇岩の間には、芭蕉の句碑「木がらしに岩吹き尖る杉間かな」がある。
 納経所前でお接待のお茶とお菓子を頂く。境内から見る眺めは良い。快晴のため、綺麗な土佐湾の海岸線が見える。おそらく海岸線の先が桂浜であろう。10:50下山開始した。

山 門 境 内 本 堂 大師堂
 山門をくぐると岩場の前の
不動明王が目に入る。

境 内 境 内 お接待 境内からの展望
 納経所には、お茶とお菓子
のお接待があった。暫し、休
憩。
 境内からの眺め。土佐湾が
一望できる。海岸線の先には
桂浜があると思われる。


32番札所禅師峰寺から33番札所雪蹊寺へ          Top

 32番札所禅師峰寺を下山の後は、農道の遍路道を歩く。海岸線に近いせいかアップダウンもなく単調な感じがする。途中、やや迷ったが。12:05高知県営フェリーの種崎渡船場に到着した。遍路地図の時刻表通りの12:10の舟に乗船することができた。途中、間に合わぬかと思ったが、懸命に歩いた甲斐があった。次は、この時間を逃すと13:10の一時間待ちになる。小さな船で、5分程で対岸に到着する。浦戸大橋、桂浜経由よりは随分距離が短縮できた。料金は無料。徒歩のほか、自転車、バイクの方も居て、10名程の乗客である。歩き遍路も一人いた。12:30頃には山門に到着した。
遍路道 遍路道 遍路道 遍路道
 10:50第33番札所雪蹊寺に
向け下山する。標柱には、
7.5kmと記されている。
 真っ直ぐな道を歩く。
 11:30頃の遍路道。
 12:00頃、倉庫が立ち並ぶ。
港が近いことを思わせる。

フェリー乗り場 フェリーにて フェリーから 遍路道
 高知県営フェリー乗り場に
到着する。12:10のフェリーに
間に合ったようである。
 フェリーの内部。この船の乗
客は多くはないが、地元の足
となっていることが伺える。
 フェリーから望む浦戸大橋。
この橋を渡って桂浜を経由し
ようとも思った。
 浜の遍路道を歩く。


33番札所 高福山 雪蹊寺             Top

 12:35雪蹊寺に到着した。門前には民宿「高知屋」がある。境内は広くはないが、落ち着いた雰囲気がある。
 雪蹊寺は、四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院である。弘法大師によって弘仁6年に開創された当時は、真言宗で、「高福寺」と称した。現在の山号に残っている。その後、戦国時代の土佐領主・長宗我部元親が、臨済宗から峰和尚を住職に招き、中興の祖となった。鎌倉時代に運慶製作した本尊の薬師如来像、脇侍の日光・月光菩薩像、湛慶の毘沙門天像と吉祥天女像、善膩師童子像は、国の重要文化財に指定されている。また、雪蹊寺は、「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職、天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍し、野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生みだしている。
 納経所で「長浜バス停」の場所を聞くと、親切に教えて頂いた。ここでも勘違いしていた。危うく反対方向に進むところであった。
 13:00雪蹊寺を後にする。山門を出て来た道を戻り、13:10長浜バス停から「はりまや橋」までバスに乗車し、高知駅まで歩き、14:00には、JR高知駅に到着した。駅前は、フェスティバルで賑わっていた。


山 門 本 堂 大師堂 境 内
 12:40第33番札所設計に到
着する。

長浜バス停 はりまや橋 三志士像 高知駅前
 13:10長浜バス停から路線
バスで「はりまや橋」まで行き
、高知駅へ歩いた。
 高知駅前にそびえる三志士
像。左から、武市半平太、坂
本龍馬、中岡慎太郎。
 この日は、何かの催しで賑
わっていた。


18日目

 2012年(平成24年)12月22日(土)12月の三連休を利用して3日間」歩くこととした。大阪を前日の23:30に出発し、6:00到着の予定より15分ほど早く高知桟橋車庫に到着する。路線バスで前回終了した「長浜」バス停まで行く。
 7時、やっと明るくなってきた中、雪蹊寺前から種間寺に向けて歩き出す。天気予報では雨を覚悟していたが、暖かい晴れの日のようである。 8:30頃には種間寺に到着する。種間寺は、577年、四天王寺造営のため来日した百済国の仏師が、途中、中国から持ち帰った五穀の種子を蒔いたのが寺名の由来とされている。
 種間寺から清瀧寺までは、約10kmである。途中、趣のある清月橋を渡り、仁淀川の大橋を渡り、途中、墓の中に迷い込んだりしたが、11:20清瀧寺に到着した。清瀧寺は山の中腹に位置し、境内からは土佐市が一望できる素晴らしい眺めであった。土佐市内で再び道に迷ったが、14:30塚地峠越えの遍路道に入る。15:40頃には、2宇佐大橋を渡り、16:20には、この日の宿、龍温泉三陽荘に到着した。


33番札所雪蹊寺から34番札所種間寺へ          Top

 大阪から夜行高速バスで高知に向かう。6:00予定より15分ほど早く高知桟橋車庫に到着する。この時間、辺りは暗闇の中である。その中で、近くの路面電車の駅には赤々と電気がついている。路面電車の駅ベンチを利用して身支度を行い、路線バスで、前回終了した「長浜営業所バス停」に向かった。
  7:00雪蹊寺前から種間寺に向かった。雪蹊寺前には、種間寺6.3kmの標識があった。やっと明るくなってきた、雨を覚悟していたが、暖かい晴れの日のようである。唐音の切り抜きを通り、8:30には種間寺に到着した。真冬のせいか、行き交う人もなく、歩き遍路と出会うこともなかった。

路面電車 雪蹊寺 遍路道 長浜の切抜
 6:20高知市路面電車の桟橋
駅だけが明かりを灯している。
 7:00前回の区切りとなった
雪蹊寺から出発する。
 慶安元年(1684年)灌漑の
ために、唐音の鳥坂山を長さ
110m、高さ30m、幅12mにわ
たって切り抜いたものである。

遍路道 遍路道 遍路道 遍路道
 7:40頃、山中の遍路道を歩
く。
 田畑の中の遍路道を歩く。  車は右へ、歩きは左への看
板。
 里山の道をのんびり歩く。


第34番札所 本尾山 種間寺             Top

8:25種間寺に到着する。境内は広くはないが、田の中にポツンと佇んでいる風情がある。納経所で、みかんとリンゴジュースのお接待を受ける。
 種間寺は、577年、四天王寺造営のため来日した百済国の仏師が、帰国の途中に嵐に遭い近くの港に立ち寄った。そして海上安全を祈って刻んだ薬師如来を弘法大師がご本尊として寺を開いたのが始まりである。その時、弘法大師が、中国から持ち帰った五穀の種子をまかれとされる。種間寺の寺名はこれに由来する。
 9:00種間寺を後にする。

山 門 本 堂 大師堂 境 内
 8:30種間寺の山門に着く。  9:00種間寺を後にする。


34番札所種間寺から35番札所清瀧寺へ          Top

9:00種間寺のお接待をいただき、次に向かう。門前にある歩き遍路の道標には9.8kmと記されている。途中、小さな石の橋だが歴史を感じる涼月橋を渡る。明治30年間に作られたようである。
 9:50仁淀川大橋が見えたところで、車を止めて、わざわざ堤防の階段を上ると近いと教えてくれた男性がいた。小さな道標もあったが迷って遠回りをする遍路も居るのだろう。わざわざ有難いと感謝した。仁淀川を渡り、土佐市に入る。橋を渡ると堤防に沿って北上する。市内を歩き、11:00入山口(登山口)に入る。
 11:20仁王門の前に到着した。途中、墓の中に迷い込み5,6分さまようことになった。戻ってみれば、迷う場所ではないのだが、なぜか墓の中に迷い込んだ。何か、不思議な気持ちになった。

遍路道 遍路道 遍路道 遍路道
 9:20頃、田舎道を歩く。  涼月橋を渡る。承応元年(1648年)
に架けられ、明治30年に石造りにな
ったようである。
 涼月橋から眺める新川川。  10:00頃、仁淀川の堤防を歩く。遠く
の山の中腹に青龍寺が見える。


第35番札所 醫王山 清瀧寺                 Top

11:20仁王門より清瀧寺に入山。仁王門から間もなく、6畳2間の通夜堂と思われる建物がある。ノートを見ると宿泊者がいるようである。12:00には参拝を終え、境内でのんびりする。土佐市が一望できる良い眺めである。仁淀川から太平洋までが見渡せる。大橋からみた山の中腹の建物は、ここであった。雨上がりのためか町一面が光って見えた。
 納経所前で土佐市を眼下に昼食をとる。景色も良く、風も心地よく、飯も美味い!!汗をかいているようで水も美味い。清瀧寺の納経所では、歩き遍路には、甘いものをお接待しているとヤクルト2本を頂く。ここで、BS-TBS「徳光さんのお遍路さん」のパンフレットを頂く。いまだ、アナログ変換で頑張っているが見てみたい番組である。納経所で通夜堂のことを聞くと、布団しかないと言われたが、いつでも泊れるとのことである。
 12:20二人連れが納経所を訪れ、○○旅行ですと言っていた。旅行社の人と思われる。後から団体が来るのだろう。12:30団体が来る前に下山した。
 清瀧寺縁起によれば、723年に行基が寺を開き、その後弘法大師が訪れ、この地で修行をした。その際に金剛杖で岩を突いたところ清水が湧き出たとされる。これが、寺名の由来となっているようだ。境内には、15mの薬師如来像があり胎内を巡ることが出来るそうであるが、入ると暗闇で明かりが無く引き返した。
 12:40下山する。

山 門 山門の天井画 本 堂 大師堂
 11:20第35番札所清瀧寺の山門に
到着する。
 明治33年に山門が建立された時の
久保南窓の画である。

薬師如来像 通夜堂 通夜堂 境内より
 本堂の前には、厄除け薬師如来像
がある。戒壇巡りをすれば、厄除け
のご利益があるという。
 通夜堂には、キッチンもあり、申し
分のない宿である。置いてあるノート
を見ると多くの遍路が利用している。
 境内から土佐市街を望む。空には
くっきりとクラウドストリートが見え、風
の流れが分かる。


35番札所清瀧寺から宇佐町の宿へ          Top

清瀧寺では、のんびり過ごし、12:30下山する。15分ほどで登山口まで下りる。途中、迷った墓地の入口を通ったが、間違える場所ではない。不思議である。国道56号線を暫く歩くと県道39号線に突き当った。表示は、「右に四万十市、左に高知」である。高知方面は戻ることになるので、右に進むが、何か変である。近くにタクシーの営業所で洗車中の運転手さんに聞くと、逆に歩いているとのことである。青龍寺を通り越して四万十に行くところであった。危ないところである。
 暫く水路に沿って歩くと遍路の↑シールを見つけて一安心した。街中は、遍路の小さな表示を見落としてしまい、よく迷う。水路沿いの道から県道39号に出る。青龍寺9kmの看板があった。
 14:20峠越えの遍路道入口の塚地休憩所で一休みする。ここから峠越えの遍路道に入る。ハイキングコースにもなっているようである。20分ほど登ると塚地峠に到着した。下りも20分ほどの峠越えであった。
 15:30、海岸の自動車道に突き当たり、海岸に沿って歩く。15:40宇佐大橋を渡る。大きな橋である。風が強く、足が竦む思いをしながら10分かけて橋を渡った。以前、パラグライダーをやっていたが、体を支えるものがないと恐怖感を覚える。
 16:15宇佐町にあるこの日の宿、三陽荘に到着した。この日は、48,800歩、約30kmを歩いたようだ。この地は、龍温泉と呼ばれている。塩分のある茶褐色の温泉であった。久々にのんびりとお湯につかった。
 三陽荘は、大阪生駒山北部にある、高野山真言宗龍眼寺にあった宿坊「三寶殿」を当地に移されたことが始まりとされている。宿の前には、立派な大師像と弥勒菩薩像が立っている。館内には、黄金大師が祭られている。

遍路道 遍路道 遍路道 遍路休憩所
 12:40清瀧寺を下山する。  自然の中の下山道を歩く。  土佐市内を歩く。市内では、よく迷う。  14:20塚地休憩所に到着する。暫し
休憩し、登山道に備える。

遍路道 遍路道 遍路道(塚地峠) 遍路道
 塚地峠への遍路道の入り口。ハイキングコースとして整備されている。  塚地峠に向け、整備された道を登
る。
 14:50塚地峠に至る。標高185mの
表示がある。
 塚地峠付近から望む宇佐湾。山中
で突然現れる太平洋には感動する。

安政地震の碑 遍路道 遍路道 宇佐の宿
 安政地震の碑:安政元年(1854年)
の地震と津波の犠牲者を追善する碑
に出会う。東北大震災に思い起こす。
 宇佐大橋を渡る。高いところは苦手
のようである。
 寒椿(たぶん)の美しい道を歩く。  宇佐の宿、三陽荘の前には、大師
像、地蔵菩薩、不動明王の三像が立
ち並ぶ。

19日目

 2012年(平成24年)12月23日(日)7:20宇佐町の宿、三陽荘を出発。青龍寺から須崎市方面に向かう場合、横浪スカイラインを通る道と宇佐大橋まで戻り、深浦、横浪を通る旧道がある。スカイラインは車が多そうなので旧道を歩くこととした。第36番札所青龍寺から奥の院に参拝し、須崎市の宿へ向かった。真冬なのにシャツ一枚で歩く。冷たいが心地よい風にさらされて歩く。海の水も透き通っている。磯の良い香りもする。香りに臭さが無く、良い匂いである。
 途中、「土佐福島休憩所」や小舟を屋根に乗せた遍ろ小屋、「ヘンロ小屋須崎17号」など多くのヘンロ小屋があり、宿泊できる所も多いようだ。
 16:10この日の宿、須崎駅近くの市川旅館に到着した。駅近くにあり、酒を飲みながらの列車の音にノスタルジーを感じる。後に、知り合った遍路から、須崎の柳屋旅館と鍋焼きラーメンが名物とのことであった。柳屋旅館は、素泊まりなら可能とのことであったので、どちらもチャンスはあった。情報不足で残念なことをした。



第36番札所 独鈷山 青龍寺                Top

 7:20三陽荘を出発。青龍寺から須崎市方面に向かうには、宇佐大橋まで戻り、深浦、横浪の旧道を通る道がある。青龍寺に向かう途中、戻りの矢印を間違えて宇佐大橋に向かう遍路道に入るところであった。近くの老人から、この方向は戻りになると言われて慌てて戻った。それでも、7:40には、第36番札所青龍寺に到着した。半島の高い場所にあるかと思っていたが、池の畔にお寺はあった。三陽荘からは近いので、前日参拝も可能であった。
 青龍寺の山門を抜けると不動明王の前に滝がある。暫く見入っていると、間欠泉のように噴出する。自然なのか演出なのかは分らぬが。青龍寺縁起によれば、弘法大師が唐の青龍寺で密教を学んだ後、帰国にあたって師の恩に報いるために、弘仁六年(915)嵯峨天皇に奏聞して一宇を建て、自刻の浪切不動を安置し、恩師を慕って寺名を青龍寺とした。大師が唐に渡る際に、本尊の波切不動明王現れて、嵐を鎮めたという由縁があり、今でも海で働く人に信仰を集めている。
 この日の宿は、須崎駅近くに予約している。25km程とゆとりがあるので700m先の奥の院まで足を伸ばすこととした。8:40頃には、奥の院に到着した。ここは、岬の突端に近く、奥の院の裏手から見る太平洋の眺めは素晴らしかった。晴れ渡った広大な海、足下の遠くから波の音も聞こえてくる。静寂の中、心が落ち着く。昨日は、冬至だが、晴れて暖かい。気分は最高!! のんびり下山し、9:10には青龍寺に戻った。

参 道 山 門 三重塔 境内の滝
 7:30参道を青龍寺に向かい歩く。  7:40山門に到着する。  山門をくぐると、滝が見える。間欠
泉のように噴出する。

本 堂 大師堂 奥の院 奥の院からの眺望
 奥の院から望む太平洋。

36番札所青龍寺から須崎市へ           Top

 奥の院を参拝後、9:10には青龍寺に戻る。青龍寺から須崎市に向かう場合、横浪スカイラインを通る道と宇佐大橋まで戻り、深浦、横浪を通る旧道がある。スカイラインは車が多そうなので旧道を歩くこととした。
 9:50宇佐大橋を渡り旧道に入る。この日も宇佐大橋の高さに怯えながら渡った。パラグライダーをやっていた時には気分爽快であったが、橋の高さは苦手である。真冬なのにシャツ一枚で歩く。心地よい風にさらされる。冷たい風が心地良い。
 10:00頃、すれ違った老女から「今日は寒いですね」と言われ、「寒いですね」と答えたが、実は暖かいと思って歩いていた。海岸に沿った道や防波堤の道を歩く。海の水も海岸まで透き通っている。磯の良い香りもする。香りに臭さが無く、良い匂いである。都会の海辺と違う心地よさを感じる。
 途中、「土佐福島休憩所」や小舟を屋根に乗せた遍ろ小屋、「ヘンロ小屋須崎17号」など多くのヘンロ小屋があった。宿泊できる所も多いようで、壁には、宿泊者と思われる多くの納札が貼ってある。あるヘンロ小屋には「告」として、「新興宗教の勧誘を遍路にする者がいる。」と書かれている。先に出会った仏教に詳しい二人連れを思い出した。
 11:43花山神社入り口を通過する。36番札所青龍寺から9.7km地点である。2時間半を要したので時速3.9kmである。途中立ち寄った所もあったが、遅いペースで歩いている。次第に風が強くなってきた。
 15:30頃、須崎市街に入る大橋の手前でご婦人の車が反対車線から寄って来た。危ないと思うと、窓から顔をだしてたくさんの飴玉の入った袋を渡してくれた。お接待である。中には、飴玉のほか、5円玉が10枚束ねて入っていた。有難いことである。
 16:00頃には、旅館の前に到着したが、駅周辺を探索するためJR駅まで行くこととした。残念ながら、駅前は寂しい。駅前では、須崎のレポートをしているという女性に声をかけられ、写真の許可を求められた。遍路のコスチュームが良いらしい。
 16:10市川旅館に入る。ボリュームたっぷりの夕食を堪能した。翌日の朝食がないのは残念であった。駅近くの旅館で酒を飲みながらの列車の音が耳に入りノスタルジーを感じる。後に、知り合った遍路から、須崎の柳屋旅館と鍋焼きラーメンが名物とのことであることを教えられる。柳屋旅館は、素泊まりなら可能とのことであったので、どちらもチャンスはあった。情報不足で残念なことをした。

宇佐大橋 ヘンロ休憩所 ヘンロ休憩所 遍路道から
 青龍寺を参拝後、9:40宇佐大橋を
恐々渡る。
 10:00頃、「土佐福島休憩所」で一休
みする。
 畳1枚のベットが2つ置かれていた。
入口には、宿泊可と書かれていた。
 透き通った海の水。香しい海の匂
いがする。歩いて気持ちが良い。


遍路道 遍路道にて 黒潮牧場 ヘンロ休憩所
 10:50頃、防波堤防の遍路道をのん
びり歩く。
 内之浦小学校前のお守り。小学生
が小石に可愛い顔を書いて安全を祈
ってくれている。
 競走馬の生産牧場のようである。
時々、競馬を楽しむ。黒潮牧場の馬
を応援しよう。
 11:40舟を屋根にした遍ろ小屋で休
憩する。

ヘンロ休憩所 ヘンロ休憩所 須崎駅 須崎の宿
 畳1枚のベッドがあり宿泊できるよう
だ。壁には、宿泊者と思われる多くの
納札が貼ってある。
 14:30頃、「ヘンロ小屋須崎17号」で
休憩。近くの民家の軒先には、水、ト
イレの表示がある。遍路に提供して
いるのだろう。
 16:00須崎駅に到着する。  16:10須崎駅に近い市川旅館に投
宿する。


20日目

  2012年(平成24年)12月24日(月祝)この日は、三連休の最終日。午前中に、須崎市の宿から、土佐久礼駅まで歩き、特急列車と新幹線を乗り継ぎ大阪まで帰った。


須崎市の宿から土佐久礼駅(中土佐)へ           Top

 7:00に須崎市の市川旅館を出発した。宿の御主人によれば、ここから岩本寺まで歩く人が多いとのこと。久礼なら午前中に十分着けると言われた。外は寒い。天気予報では、最高気温6℃である。手が悴んで痛い。風も厳しい冷たさである。暫く国道56号線を歩き、8:50鉄道の高架をくぐると右に逸れる遍路道があった。途中の看板によれば「焼坂峠」を越えるようだ。
 9:00白いものが舞っている。ごみが飛んできたかと思ったら雪である。寒いはずだ。峠越えが心配になってきた。10分程で人一人が通れる狭い幅の登り口に到着した。手書きの板には、「焼坂峠まで所要約25分、頑張ってください」と書かれていた。
 9:40焼坂峠に到着した。30分ほどを要した。並み足の遍路より遅いペースのようだ。峠には、標高228mの標柱があった。峠を越えるとやや広い下り坂になる。周りは木が生い茂りうす暗く、遠くには、晴れた空の下の海が光って見える。下界が浮き出るような光景である。下り道は、枯れた松葉が敷き詰めたように残っており、黄色い絨毯を歩くようである。勾配も緩く、快適な歩きとなった。風が出て、一際寒さを感じるようになってきた。10:20頃、急に列車の音が聞こえてくる。暫く歩くと、鉄道の高架をくぐり、土讃線の壁に沿って歩く。
 11:20久礼川にかかる古い上久礼橋を渡る。手前の標識には、「右折
添えみみず、直進 七子峠」と書かれている。市内は、情緒ただよう街並みで造り酒屋もある。11:30には、土佐久礼駅到着した。駅の待合室で二人の遍路に出会った。複数目の先輩遍路である。同じ電車に乗るようだ。彼らの情報では、柳家は旧家の旅館であり、映画のロケにも使用されたとのこと。遍路によっては、柳家の予約を先に取ってから旅程を決める方もいるらしい。昨日は、素泊まりならOKであった。知らなかったので惜しいことをした。旅館の前の「鍋焼きラーメン」が、有名で、昨今のB級グルメのブームで賑わっているとのこと。これも、惜しいことをした。久礼からの峠越えについて伺うと、大坂峠は、アスファルトの緩いのぼりが続き、最後に急峻な上りがあるとのことであった。
遍路道 遍路道から 遍路道 遍路道
 7:10頃、須崎市内を歩く。  8:30頃、国道56号線の遍路道からの
眺望。どこから見ても美しい海岸線が
続く。
 9:00焼坂峠の遍路道に向かう。手書
きの看板が嬉しい。
 9:40焼坂峠を越える。

遍路道 遍路休憩所 遍路道 土佐久礼駅
 10:10頃、木漏れ日の中をのんびり歩
いて焼坂峠を下る。
 11:00頃、遍路道に休憩所があった。
「ちくっと休んでいかんかえ」「幸せ願
う」の2つの看板が掲げられていた。
 11:20頃、中土佐町を歩く。造り酒屋
の杉玉も見える。
 11:30JR土佐久礼駅に到着した。
この日は、ここで区切りとして大阪に
帰った。


21日目

 2013年(平成25年)1月12日(土)前日の夕刻、大阪から高速バスに乗り、5:55予定より早く高知駅に到着する。特急あしずり51号で土佐久礼に向かった。駅前で身支度をして7:20、岩本寺に向け出発した。寒さも感じたが1月にしては暖かい。土佐久礼駅(中土佐町)から「土佐往還そえみみず遍路道」を通り、14:30には37番札所岩本寺に到着した。この日は、宿坊に泊まった。



土佐久礼駅(中土佐)から37番札所岩本寺へ       Top

 前日の夕刻、大阪から高速バスに乗り、特急あしずり51号で土佐久礼に向かった。駅前で身支度をして7:20には、岩本寺に向け出発した。やや寒いが、上着を脱いで「添えみみず遍路道」を辿ることとした。
 登山口の前には、ヘンロ小屋31号「そえみみず酔芙蓉」があり、ヘンロ小屋の謂れが書かれている。近畿大学の建築家、歌一洋教授が提唱し、「四国八十八か所ヘンロ小屋プロジェクト」を立ち上げ、2001年から10年間をかけて89か所のヘンロ小屋を造ったとされている。ヘンロ小屋の中には、野宿用と思われる毛布がビニール袋に入って用意されていた。手入れを怠らない地元の皆さんがいらっしゃることに頭が下がる。
 8:10登り始めた。途中、国道56号線の大きな高架下を通過し、長い階段を上る。階段は良く整備されているが、足には堪える。山中、杉並の中の小道を歩く。ふと立ち止まると、全く音がしていないことに気づく。鳥の囀りさえも聞こえない。全くの静寂である。たぶん、初めての経験である。呆然と無の一時を過ごす。ゆっくり歩き出すと、聞こえるのは、枯れ葉や小枝を踏む自分の足音と金剛杖の鈴の音だけである。
 9:30峠を通り過ぎる。標高350mである。
10:20には峠越えの遍路道から国道56号線に出た。標柱には「岩間寺13.3粁」と記されていた。近くには、展望台があり太平洋までが遠望できる。この付近が七子峠と思われる。一休みを考えていた「ななこ茶屋」は残念ながら閉まっていた。国道56号線を横断し、再び田舎道に入る。途中の路傍に「無縁の墓」があり、花が手向けられている。何か、世の無常を感じる。
 11:40「雪椿へんろ小屋」で昼食休憩、あと10kmである。一人の歩き遍路が目の前を颯爽と通り過ぎた。久々の遍路との遭遇である。途中JR、くろしお鉄道窪川駅を経由し、14:30には、岩本寺山門に到着した。20kmの道程であり、早く着いた。宿があれば、もう少し先まで足を伸ばすことができたが、ちょうど良い場所に宿が無い。
これが旅である。
遍路道 ヘンロ休憩所 遍路道 遍路道からの眺望
 右「ほんみみず」、左「そえみみず」と
書かれた道標。遠くに見える橋梁は、
国道56号線である。
 そえみみず酔芙蓉ヘンロ小屋第31
号。
 整備された長く続く階段の遍路道であ
る。足に堪える。
 山間から望む海岸線。

遍路道の傍ら 遍路道 遍路休憩所 窪川駅
 遍路道の傍らにある無縁の墓。今も
手入れされている。
 里山の道を歩く。  雪椿休憩所。「お雪椿」の伝説が
ある。
 JRと土佐くろしお鉄道の駅がある。岩
間寺は間もなくである。


第37番札所 藤井山 岩本寺             Top

 14:30岩本寺山門に到着する。随分、早く到着した。この日は、23kmを歩いた。宿があれば、もう少し先まで足を伸ばすことができたが、ちょうど良い場所に宿が無い。
 お寺は、平安初期に勅命により弘法大師が建立したと伝えられている。窪川町の町中に小さく佇んでいる。本堂の天井絵が有名で面白い。お寺の和尚が寝転がって写真を撮るといいと勧めていた。お寺のすぐ近くを鉄道が走る。
 早々と宿坊に入り寛いだ。この日は、団体の遍路が宿泊し、他には、一人だけのようだ。食事は、ボリュームたっぷりで美味しく頂いた。高知の米は、土佐の香り米が有名なようで、この宿坊の御飯も良い香りがし、食が進む。
 別室の大広間は、団体でにぎやかである。団体は、バスを利用している歩き遍路のツアーであり、一日20km程を歩くらしい。バスで宿には動し、翌日、前日の地点までバスで行って、再び歩くようだ。月に2回、2年で結願するらしい。団体で長距離を歩くのは難しいが、このグループは健脚揃いとのことであった。
参 道 山 門 本 堂 本堂の天井画
大師堂 宿 坊 宿坊の部屋 宿坊での夕食


22日目

 37番岩本寺から次の札所38番金剛福寺までは約80km、3日を要する。途中で区切れば、更に日数を要する。2013年(平成25年)1月13日(日)窪川町岩本寺から黒潮町の民宿まで約27kmを歩いた。


37番札所岩本寺から黒潮町の民宿へ         Top

 2013年(平成25年)1月13日(日)団体客の音で目が覚める。6:00から、宿坊泊では、朝のお勤めがある。強制はされていないが、朝から声を出しての読経は清々しい気持ちになる。読経の後に焼香を上げ、和尚の説法を聞く。この日の説法は、大師という称号の話であった。
 7:20には、お寺を出発した。道路の標識は、−4℃を示していた。寒い!!標高290mの峰の上の峠を経由し、窪川町環境美化センターの中を通り抜ける。獣道のような山中の遍路道を一気に下るが、幾度か、滑って転倒しそうになる。膝にも堪える。途中のへんろ休憩所で、逆打ちとすれ違う。この時期、歩き遍路は、久しぶりであった。10:20伊与川医心橋を渡り国道56号線から離れることにした。やっと、自動車の排気ガスと騒音から解放され、鉄道と伊与川に沿うように歩く。伊与川の色は、深い青に見える。曇りなので空の色ではない。写真にとっても色は出ないが、ブルーの青である。1時間30分ほどを歩くが、出会った車は2台だけであった。歩きやすく、気持ちいのいい道であった。
 午後には、雨が降り出し、雨合羽を着ての歩きとなった。この日は、27kmを歩き、15:20黒潮町の民宿に到着した。宿泊者は、一人であった。食事は、とにかく量が多い。鰹、鰤の刺身は量も多く美味い。ここの御飯も香りがする。昨日の宿坊と同じ香りである。土佐の香り米は有名らしい。朝食は、5時でも6時でも良いとのことであったので、6時にお願いした。夏の遍路には、有り難い宿だ。
宿坊にて 遍路道 遍路道 ヘンロ小屋
 6:00から始まった朝のお勤め。
読経の後、説法があった。
 8:40頃、窪川町環境センターを
通り抜ける。
 獣道のような遍路道を歩く。時
々すべりヒヤリとした。
 国道56号線沿いにあるヘンロ
小屋。佐賀、第13号の看板があ
る。
遍路道 遍路道から 遍路道 遍路道
 11:00頃、右に鉄道の土手、左
に伊与川を見ながら歩く。
 伊与川の水は、青が際立って
見える。写真には上手く映らない
が。
 伊与喜から土佐佐賀に向かう
峠越えの途中、鄙びたトンネル
熊井隧道を通る。
 熊井隧道の中は、照明もなく暗
い。足元さえも見えない。
土佐佐賀駅前 遍路道から 遍路道 黒潮町の民宿
 13:00土佐佐賀駅に到着する。
駅前には、鰹の町黒潮町のモニ
ュメントがあった。
 13:40頃、遍路道から望む鹿島
が浦。
 14:30頃、雨の中、国道56号線
の歩道の遍路道を歩く。
 15:20黒潮町の民宿たかはま
に宿泊した。岩本寺から27kmの
地点である。


23日目

 2013年(平成25年)1月14日(月・祝)朝から雨である。冬の雨の割には、寒さを感じない。この日は、三連休の最終日、黒潮町の民宿から土佐くろしお鉄道中村駅までの約18kmを歩いた。中村は、土佐の小京都と呼ばれている。電車の待ち時間で市内を散策し、大阪まで帰った。


黒潮町の民宿から四万十市中村駅へ         Top

 6:00から朝食。すでに、港で働く近所のご婦人が数名、モーニングコーヒーを楽しんでいる。朝は、何時でも良い訳が分かった。朝が早いのは、港の皆さんが利用する食堂であるからだ。朝食にも焼いた鰹がドカンと出てきている。ボリュームたっぷりの朝食で一日が始まる。
 7:10黒潮町の民宿を立つ。朝から雨が降っているが、寒さは感じない。雨合羽でのスタートとなった。食堂に顔を出して挨拶すると、客の全員から声をかけられた。元気が出てくる。途中、歩き遍路の道から外れ、国道56号線を歩く。街中で交通量も多く歩道がない。危ないうえに溜まり水をひっかけられる最悪のコンディションである。正に終業の国を歩く様である。
 11:30土佐くろしお鉄道の中村駅に到着する。駅に着くころ雨が上がった。2時間近く特急がない。駅の観光案内所で近くの観光名所を聞くと、四万十川の赤橋まで2.5kmとのこと、土佐の小京都を散策して帰路に着いた。

7:10黒潮町の民宿を出発し、雨
の中、四万十市中村駅に向かう。

8:20頃、国道56号線の遍路道
を歩く。


 8:30頃、浮鞭海岸を通る。
海亀が産卵する海岸である。


路傍にある大師堂の前を通過
する。


 10:50頃、四万十市の市街地
を歩く。




 11:30土佐くろしお鉄道中村駅
に到着する。次の特急列車まで
2時間の待ち時間があるので四
万十市内を散策した。

 四万十川の赤鉄橋。




 JRが乗り入れている岡山行き
の特急で帰る。



24日目

 2013年(平成25年)3月8日(金)前日に大阪から夜行バスに乗り、この日の早朝四万十市中村駅に到着した。一週前の京都ツーデーウオークで足を痛め、心配なスタートとなった。7:40中村駅を立ち、春の四万十川を南下して、今大師寺、真念庵を参拝したのち、土佐清水市久百々の民宿までを歩いた。約24kmを歩き、15:30民宿に到着した。


四万十市中村駅から土佐清水市久百々へ         Top

 2013年(平成25年)3月8日(金)前日に大阪から夜行バスに乗り、この日の早朝、四万十市中村駅に到着した。一週前の京都ツーデーウオークで足を痛め、心配なスタートとなった。7:40中村駅を立ち、春の四万十川を南下する。3月上旬の四国は、暖かい。長袖のシャツ一枚で歩く。四万十川の堤防道路を歩くが、歩道がないので河川敷を歩いた。河川敷から見上げる堤防には土筆がいっぱいである。小鳥の囀りも春の気配である。春を満喫しながら歩く。ボーと歩いたせいか考え事をしながら歩いたせいか危うく道に迷うところであった。遊覧船乗り場辺りを見学したのち、石のごろごろした河川敷を川下に下っていると車で追いかけてくる方がいた。このまま進むと行き止まりになると、わざわざ注意しに来てくれた。確かに、地図を見るとかなり下ったところで堤防は途切れている。
 11時頃、伊豆田北坂のパーキングで昼食休憩する。足は痛いが何とか歩いてきた。一休み。鶯の鳴き声も心地よい。ここで、二人の遍路が追いついてきた。一人は、同じ宿である。
 この日の予定は、24kmとゆとりがあるので、途中、今大師寺、真念庵を参拝して宿に向かった。真念庵は、天和年間(1680年頃)に寺間の長い37番札所岩本寺、38番札所金剛福寺、39番札所延光寺の三寺の中間地点に建てられたものである。
 12:30頃、真念庵へ向かう山道の登り口に、古びた丁石(道標石)が置かれていた。「足摺遍路三百五十丁石」の一つである。真念庵から足摺岬金剛福寺までの遍路道七里を一丁間隔で350丁の丁石が置かれ、地図のない時代の目安になっていた。
 14時頃、約20km地点で、足の痛みで休憩をしていると、近所の年寄から土地の話を聞くことができた。この地の盆踊りは盛大で、その時唄う「お笑いくどき」を披露して下さった。10分ほどであるが、ほんの一部とのことである。ちょっと手前の伊豆田から足摺岬までの地名を読み込んだもので、通しを覚えているのは自分だけだと自慢していた。
 15:30民宿「久百々」に到着する。約24kmを歩いた。金剛福寺までは、残り20kmである。女将によれば、この宿に荷を預け、金剛福寺まで40kmを往復し、翌日に宿毛の39番延光寺に向かう方が多いようである。
 夕食は、3名の男性遍路との久々の楽しい夕食であった。この日の他の3名は、金剛福寺を往復するとのことだ。お一方は、「遍路道保存協会」のメンバーでもあるらしい。遍路談義に花が咲いた。

7:40中村駅の休憩室で遍路姿
に支度をして歩き始めた。



四万十川の河川敷を振り返る。
辺りは、一面の土筆で、小鳥の
囀りも春の気配である。


四万十川の屋形船。川下りでも
するのだろうか。ここで、危うく
道を間違えるところであった。近
くの方に助けられた。

9:50四万十川の河川敷で何か
干している。川海苔だろうか。



10:10鳴滝の枕状溶岩を通過す
る。




10:20菜の花が満開の遍路道を
歩く





10:30大文字山を見ながら遍路
道を歩く。500年ほど前、前関白
が、京の戦乱を避けて家領の
中村に下向し、京を思い始めた
と伝えられている。

11:50今大師寺を参拝した。





12:40真念庵を参拝する。天和
年間(1680年頃)に建てられ、
宿や荷物置き場に利用されて
いたとのことだ。

真念庵近くにある「足摺遍路三
百五十丁石」の一つ。ここの石
には、三百四十三丁の丁石と
記されていた。

13:40頃の遍路道。




15:40頃、遍路道からの眺め。




25日目

 2013年(平成25年)3月9日(土)、いよいよ第38番札所金剛福寺を参拝する日である。足の痛みを堪えながら26kmを歩いた。足摺岬は、椿も終盤であったが名勝地である。その風景を堪能した。


土佐清水市久百々から38番札所金剛福寺へ         Top

 2013年(平成25年)3月9日(土)この日は、4:30起床する。左足首が痛い。まずい!!大いにまずい!!何とか、26kmを歩きたいと思う。朝食の後、民宿でお接待の昼食を頂いた。握り飯、ポンカン、バナナ、キャンデーと盛りだくさんである。記念写真も撮った。民宿のホームページに載るようである。
 6:30民宿を出発する。他の皆さんは、もっと早く出ているようだ。9時ごろ、以布利港への遍路道は、海岸を歩き山中を歩きまわる道である。静かで気持ちが良い。足元が悪いので雨の日は用心が必要と思いつつ歩いていると足を捻った。途中の山中に突然一軒のお好み焼き屋が現れたこともあった。鰹節工場では、カメラを向けるとピースのポーズをしてくれた。楽しそうに仕事をしている。羨ましい。12:30には、足摺岬に到着した。せっかくなので、雄大な太平洋を眺め、灯台、展望台、大師七不思議等を巡る観光の散策をした。椿の回廊もあったが、残念ながら季節が変わり花は少なかった。
 13:20入山し参拝する。大きな太子堂が印象的であった。本堂かと思うほどである。本堂の横にあるやや小さな愛染堂を太子堂と間違えてしまったほどである。


6:50頃、県道27号線の遍路道
を歩く。南国情緒が漂う。

7:50頃、大岐海岸の遍路道を
歩く。

大岐海岸にて


9:00頃、大岐海岸からの遍路
道。

9:20頃、鎖場のような遍路道を
歩く。




9:40、突然、お好み焼き屋が現
れた。今は、遍路休憩所になっ
ているようだ。



10:10鰹節工場を通りかかる。カ
メラを向けるとピースをしてくれ
た。陽気な皆さんだった。



窪津は鯨取りで有名だ。当時
は、ハザシ(漁師)が鯨包丁を
口にくわえ、鯨に馬乗りになり、
鯨と共に海に潜り込む勇壮果
敢な漁であったようだ。

11:20頃、足摺岬に向かう遍路
道を歩く。




12:40足摺岬に到着する。椿が
まだ残っていた。




足摺岬灯台。





足摺七不思議「地獄の穴」。こ
の穴に銭を落とすとチリンチリン
と音がして落ちていく。金剛福
寺の下まで通じているといわれ
ているが・・・・・


第38番札所 蹉陀山 金剛福寺             Top

 13:20金剛福寺に到着した。山門には「補陀洛東門」の額がかかっている。金剛福寺は、四国の最南端にある足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、広大な境内を持つお寺である。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得し、弘仁13年(822年)弘法大師が嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅願により建立したのが始まりと言われている。
 広大な境内に大きな太子堂が印象的である。本堂前の大池は改修中で残念であった。


金剛福寺参道



仁王門



大師亀、弘法大師が亀を呼び
眼前に浮かぶ不動岩に渡って
修行したと伝えられている。

本 堂



大師堂

多宝塔

境 内

亀の口から水が出ている手水舎


38番札所金剛福寺から土佐清水市松尾の民宿へ         Top

 14時には金剛福寺を下山し、この日の宿「民宿青岬」に向かった。金剛福寺から6km程である。
 途中、国指定重要文化財「吉福家住宅」を見学する。
 16時、途中迷いながら民宿青岬到着した。奇麗なペンションのような民宿である。夕食は豪華であった。御主人によれば、イカの丸煮が名物とのことである。確かに、箸で切れるほどに柔らかく、ワタの苦みが美味さを引き立てる。美味しい海の幸に舌鼓を打った。部屋からの眺めは良く、屋上には展望台があった。

 14:10金剛福寺近くの街中を
歩く。




 「トオルマ」の夕日の場所近
く。1年に2回、春分と秋分の前
後数日間だけ、洞門に夕日が
差し込み海面に黄金の帯を映
し出す場所らしい。

 15:20頃、国重要文化財に指
定されている吉福家住宅で一
休みする。



 今日、宿泊する民宿近くの桜
公園を通り向かう。




 民宿の夕食。料理旅館といっ
た雰囲気である。

 民宿名物のイカの丸煮。柔ら
かく、ほろ苦く酒の肴に良い。

 民宿の但し書きが面白い。


 民宿屋上の展望台からの眺
め。


26日目


土佐清水市松尾の民宿から土佐清水市中心街へ 
        Top

2013年(平成25年)3月10日(日)外は風が強く、4:00頃に風の音で目覚めた。女将によれば、山の上だから風が強いが、下りれば大したことはないとのことだった。
 遍路道の山中は風がなく快適である。痛めた足も何とかなっている。緩い上り、落ち葉のクッションは、足に良いかもしれない。途中、ジョン万次郎生誕の地である中ノ浜を経由し、唐船島、室町(応仁2年)の史跡を眺めながら清水バスセンターに到着した。この日は、これで区切りとし、清水バスセンターから土佐くろしお鉄道の中村駅にバスで向かい大阪まで帰った。


2013年(平成25年)3月10日(日)外は風が強く、4:00頃に風の音で目覚めた。女将によれば、山の上だから風が強いが、下りれば大したことはないとのことだった。食後、屋上の展望台に上がる。良き眺め、凝ったものを作っている。
 7:15出発する。民宿で昼のお弁当を頂く。いつもながら宿のお接待に感謝して出かける。山中は風がなく快適である。痛めた足も何とかなっている。緩い上り、落ち葉のクッションは、足に良いかもしれない。
 8:50頃、中ノ浜バス停を通過する。途中、出会った方からジョン万次郎生誕の地であると聞いた。階段道を上り町を眺めていると老女が上ってきた。この階段道を上ると県道を歩くより早く着くとのこと。山越えをするとバスが一区間安くなるのでいつも上っていると言っていた。途中、地蔵堂があり、老女によれば、遍路が良く泊るらしい。
 土佐清水の中心街に入ると、唐船島、室町(応仁2年)の史跡を眺めながら清水バスセンターに到着した。万歩計から、約10kmを歩いたと思われる。
 11:30には、中村駅到着した。駅の女性から、特急は暫くないので、コトコトのんびり普通列車に乗って、高知駅から特急に乗れば500円安くなると勧められた。駅の売店でビールを買い込み、民宿青岬の特製お接待弁当を食べながら、歩いてきた道を眺めながら帰路についた。弁当には、女将の心温まるメッセージが入っていた。


8:10頃、険しい遍路道を下る。





 8:50頃、ジョン万次郎生誕の
地、中ノ浜を歩く。




 中の浜の地蔵堂。土地の方
によれば、多くの遍路が宿泊に
利用している。



 唐舟島は、遣明船の前線基
地になった所である。昭和21年
の南海大地震で80cm隆起した
地質学の資料として国天然記
念物に指定されている。


27日目

土佐清水市バス停から叶崎の民宿へ                        Top

  2013年(平成25年)5月2日(木)前日、大阪から夜行バスで中村駅に向かった。路線バスで前回の区切りとした清水プラザバス停で下車し歩き始めた。途中、竜串海岸で昼食と時間調整の休憩をし、弘法大師見残し展望の跡などの奇岩の中を散策した。15時前には叶崎に近い民宿に到着した。この日は、約20kmを歩いた。


 2013年(平成25年)5月2日(木)前日、大阪から夜行バスに乗り込み、7時前には、中村駅に到着した。前回と同じ駅の待合室で朝食と準備をする。
 7:30駅の売店が空くのを待って弁当を食べると一日の始まりを感じる。大きな卵焼きが印象的な御握り弁当だった。
 8:00バスが入ってきた。運転手さんに行き先を確認し、乗車して出発を待つ。車内では、バスの運転手さん、他の遍路の方と遍路談義に花が咲いた。

 9:20清水プラザバス停に到着し、前回の区切りとしたこの場所から歩き始めた。快晴の青空、暖かく気持ちが良い。シャツ1枚で歩き始めた。深緑、鶯、風、青空・・・爽快である。
 12:30頃、竜串海岸で昼食と時間調整の休憩をした。早すぎるようだ。弘法大師見残し展望の跡などの奇岩の中を散策した。弘法大師が、室戸岬で修行を終えた後、足摺岬を回ったが、この辺りの奇岩を見残したことから、「見残し」と言われているようだ。15時前には、宿泊予定地の近くに到着した。しばし、海を眺めて休憩、飽きない風景である。この日は、約20kmを歩いた。
 民宿では、明日、宿毛まで歩くなら、朝食は6:00でどうかと気を利かせて早めにしてくれた。翌日の旅程に合わせて朝食を早めてくれるらしい。ありがたい。


 10:00頃、国道321号線、足摺
サニーロードを歩く。


10:10海の駅足摺を通過する。


 10:40松崎海岸から落窪海岸
を歩く。化石蓮根を見ることがで
きた。

13:00頃、竜串海岸を散策した。



 弘法大師見残展望跡を散策した。
弘法大師が室戸岬の修行を終え足
摺岬を訪れた際、奇岩奇勝たる名称
を見残したことに由来する。

 「鯨のひるね」と名付けられて
いる。そのようにも見えた。



 龍の卵



 13:40南国情緒漂う道の傍ら
で一休み。



28日目

叶崎の民宿から宿毛市へ                        Top

 2013年(平成25年)5月3日(金・祝)6:20民宿を出る。風は、冷たいが、爽快な気分で歩き始める。途中、叶崎(かなえざき)灯台、月山神社(番外霊場)に立ち寄って16時過ぎに旅館に到着した、約9時間かけて約32kmを歩いたようだ。夕食は、2人の歩き遍路と楽しい一時を過ごした。

  2013年(平成25年)5月3日(金・祝)6:20民宿を出る。風は、冷たいが、爽快な気分で歩き始める。前回と異なり足の痛みはなく快調である。歩き始めて直ぐに、叶崎(かなえざき)灯台を散策する。小さな灯台であるが、歴史は、足摺岬より古いようだ。
 7時過ぎには、大月町に入いった。国道には、宿毛まで27kmの表示がある。国道を歩けば早く行けるようだ。この辺りには、「同行2人」と書かれたハングル文字の添え書きのあるシールが多い。気分良く山中を歩く。汗をかきながらも何も考えない。鶯の声だけがあちらこちらに響きわたる。9時頃、月山神社(番外霊場)を参拝する。社務所は閉じていて誰もいない。参拝者もいない。神社の隣に太子堂がある。大師堂で般若心経を唱える。天井画が有名らしい。月山神社からは、「大月へんろみち」を歩く。地元の方々が整備しているのだろう。10時ごろ、川底のような石がゴロゴロ道をあるいて海岸に出た。海岸の大きな石に赤いペンキで矢印が書かれている。途中、標識がなく不安がよぎったので、近くの老女に道を聞く。11時ごろから、国道321号にを宿毛に向けて、ひたすら歩いた。13時30分ごろには、宿毛市に入った。
 15時50頃、東宿毛駅から市街地に入る。16時アーケードの通りに出るが、人通りも少なく、寂れてしまったようだ。「箸拳発祥の地」の碑があった。
 16時過ぎに旅館に到着した、約9時間かけて約32kmを歩いたようだ。夕食は、2人の歩き遍路と楽しい一時を過ごした。
 明日の予定について、延光寺を往復し観自在寺の宿坊に泊まることを話すと、女将から、荷物は置いて往復するとよいと勧められた。朝6時に食事して出れば、10時には戻ってこられるとのこと。大いに助かった。

 叶崎灯台、明治44年8月20日
足摺岬より先に設置された灯
台である。

 叶崎からの眺め。早朝ながら
心落ち着く



 7時ごろ大月町に入る。イカが
干してある。長閑な漁村を歩く。


 「大月へんろみち」が月山神
社を経由して整備されている。


 遍路道に掲げられている地元
小学生のメッセージ見ながら歩
く。



 8時頃、山中の遍路道を歩く。





 月山神社参拝。かつて、月山
神社は、月守山月光院南照寺
という修験の寺で番外札所とさ
れていた。太子堂は、天井画で
有名である。

 10時ごろ、沢の中を歩く。水は
枯れているものの石がごろごろ
と歩きにくい。



 海岸出でる。岩に赤ペンキで
→が示されている。



 10:30頃、赤泊まりの里山を歩
く。



 15時、道の駅すくもを通過す
る。「ヘンロ小屋スクモ第十号」
があった。


16時、宿毛市の市街地に入る。
アケード街に「箸拳発祥の地」
の標柱があった。近くの旅館に
宿を取った。

29日目

 2013年(平成25年)5月4日(土)6:00早々と朝食を用意して頂いた。荷物を旅館に預け、6:30には、女将に見送られて延光寺に向けて米屋旅館を出発した。さんや袋のみでリュックサックがないと軽快である。延光寺を往復し、10時には宿毛市の旅館に戻り、観自在寺に向かった。観自在寺へは、松尾峠を越え、14時には松尾大師を通過した。この辺りの車は、愛媛ナンバーである。伊予の国(愛媛県)に入ったと思われる。16時には40番札所観自在に到着し、宿坊に宿泊した。


宿毛市の旅館からへ39番札所延光寺へ                Top

6:00早々と朝食を用意して頂き、荷物も預かっていただき、6:30には、女将に見送られて延光寺に向けて米屋旅館を出発した。さんや袋のみでリュックサックがないと軽快である。歩き始めると国道56号線から遠くに鯉のぼりが並んでいる。そんな季節である。三原村回りの遍路道からは逆向きになる。11人の遍路とすれ違った。
 途中、遍路に教えられ国道56号線から山道の遍路道に入った。標識もなく、不安になったので聞く人を探したが誰もいない。10分ほど山に向かって歩き、畑にいる老女に道を聞くと全く違うので元に戻れと言われ、焦って国道に戻ったこともあった。東押ノ川バス停の近くに遍路道の標識があった。この山道は竹林の中を歩く気持ちの良い道である。遍路道を抜けると直ぐにお寺があった。8時過ぎには延光寺に到着した。


 国道を歩く。遠くに鯉のぼりが
連なっているのが見える。そん
な季節なんだ。

 田舎の街中を歩く。


 7:40頃、山越えの遍路道と勘
違いし迷い込んだ。風景は良い
が不安になった。

 8:00頃、本来の遍路道を歩く。
竹林の中を気分良く歩いた。

第39番札所 赤亀山 延光寺                     Top

 宿毛市内の旅館を6時半に立ち、8時過ぎには延光寺に到着した。延光寺は神亀元年(724)に行基が開山したお寺である。延喜14年(795)弘法大師が来錫され勅願により再興されたものである。赤亀が梵鐘を背負い海中から現れたことから寺号を赤亀山としている。境内には、梵鐘を背負った亀の像があった。

8:00延光寺の山門に到着した。

梵鐘を背負った赤亀の像

本 堂

太子堂

39番札所延光寺から40番札所観自在寺へ            Top

8:40延光寺を下山する。行きとは違う道を通ろうと思い、直接、国道に向かった。やや遍路道より早いようだ。10時には、宿毛の米屋旅館に到着した。約3時間で12kmを歩いた。女将からは、予定どおりでしょう!!と得意げに言われた。
 旅館で預けていた荷物を受け取り、身支度をして10:15には観自在寺に向けて出発した。10:50宿毛貝塚の史跡の横を通過した後、山中の遍路道に入った。松尾峠を越える道である。11:15松尾峠3,000mの標柱があった。12:40には、松尾峠に到着した。12時頃に見かけた山頂1,000mの標柱から40分、一本調子の上り道でしんどかった。峠には、茶店跡、大師堂跡があった。峠で一休み、静かな時を過ごした。峠から直ぐの休憩所で二人連れの女性遍路から山頂の展望台まで行かないかと誘われた。先を急ぐこととしたが景色は良いらしい。もうすでに、蝉の声が聞こえる。傍らでは、鶯が盛んに鳴いている。山を下ると田圃に沿った農道を歩く。道の草が足に心地よい。自然の音しかしない。風、水の流れ、鶯、鳶。
 13:50頃、老夫婦と出会う。この日の宿は、同じ観自在寺の宿坊に泊まるらしい。この日は、サッカーの試合があり、お寺付近の宿は一杯とのことであった。明日の宿が不安になってきた。14時ごろ、松尾大師を通過した。小さな祠であった。この辺りの車が愛媛ナンバーになっているのに気がついた。伊予の国、愛媛県に入ったようだ。


 ヘンロ小屋・宿毛・第33号

 10:50頃、宿毛貝塚を通り過ぎ
る。

 11:00頃、山中の遍路道を
歩く。

 11:30頃、山里の中を歩く。

土佐の褐牛(あかうし)



 松尾峠には、松並木があったが、
戦時中に軍用材として伐採された。
根は、松根油の原料とされた。掘り
跡が今も残っていた。

 12:40松尾峠を越える。峠に
は、茶屋跡、大師堂跡があっ
た。

 松尾峠の太子堂跡。松尾峠を
越えると伊予の国(愛媛県)で
ある。


松尾峠を越え、伊予の国、愛媛県の四国霊場に入った。

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四国歩き遍路の旅