四国八十八か所巡礼 歩き遍路
阿波の国 発心の道場


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札所  山 号   寺 号   納経日 札所  山 号 寺 号 納経日
1 竺和山 霊山寺 平成24年4月28日 13 大栗山 大日寺 平成24年5月1日
2 日照山 極楽寺 平成24年4月28日 14 盛寿山 常楽寺 平成24年5月1日
3 亀光山 金泉寺 平成24年4月28日 15 薬王山 国分寺 平成24年5月1日
4 黒巖山 大日寺 平成24年4月28日 16 光耀山 観音寺 平成24年5月1日
5 無尽山 地蔵寺 平成24年4月28日 17 瑠璃山 井戸寺 平成24年5月1日
6 温泉山 安楽寺 平成24年4月29日 18 母養山 恩山寺 平成24年5月21日
7 光明山 十楽寺 平成24年4月29日 19 橋池山 立江寺 平成24年5月21日
8 普明山 熊谷寺 平成24年4月29日 20 霊鷲山 鶴林寺 平成24年5月22日
9 正覚山 法輪寺 平成24年4月29日 21 舎心山 太龍寺 平成24年5月22日
10 得度山 切幡寺 平成24年4月29日 22 白水山 平等寺 平成24年5月23日
11 金剛山 藤井寺 平成24年4月30日 23 医王山 薬王寺 平成24年5月23日
12 摩盧山 焼山寺 平成24年4月30日 別格 八坂山 鯖大師 平成24年9月16日



 阿波の国 発心の道場 徳島県の1番札所「霊山寺」から23番札所「薬王寺」を歩く、発心の道場と言われている。発心、発願とも言う。思い立つことである。
 始めは緩やかな田舎道、里山を歩く。足慣らしのように。吉野川沿いでは、単調な遍路道を黙々と歩く。吉野川を超えると第12番札所焼山寺に臨む。「遍路ころがし」と呼ばれる難所が6箇所、発心の心が試される。その後、鶴林寺、太龍寺といった山道やゆったりとした田園や海岸を歩き第23番札所「薬王寺」で阿波の国、徳島県を終える。長い歩き遍路、修行の序章である。

 下の図は、9日間をかけて歩いた足跡である。途中の途切れている部分は、焼山寺を下りた後、大日寺まで路線バスを使用した。

  



1日目

 平成24年(2012年)4月28日(土)、心の修行、心の安らぎを探しに?予てから歩いて回りたいと思っていた遍路を始める。発心と言うらしい。心がその気になったと言えるかも。
 8:00の大阪(梅田)発、徳島行きの高速バスに乗車、GWのため高速道路の一部でで渋滞があったが、10:45頃にはJR徳島駅に到着した。
 初日は、1番札所から、5番札所まで歩き、5番から6番への途中にある。「寿食堂」に宿泊した。
 
 下の図は、当日の足跡である。

※ベテラン遍路のご意見 : 大阪から徳島行のバスでなく、高松行のバスに乗り「鳴門西バス停」で降りれば、1番札所霊山寺まで徒歩20分程とのこと。後に、調べると、1時間ほどメリットがある。

JR坂東駅から1番札所へ    Top

 10:45頃、JR徳島駅に到着。駅員さんに列車が間もなく出ると聞き、駅を走り抜ける(気持ちだけ)。10:52の坂野行きに飛び乗り、11:17坂東駅到着。駅で持参の弁当を食べ、白衣を着たりと、身仕度する。いよいよ開始、何か、気が引き締まる。まさに発願、発心の気持ちと思う。
 駅舎には、ツバメが巣を作り、慌ただしく出入りしている。たぶん子育ての真っ最中と思われる。

JR坂東駅の駅舎 JR坂東駅の待合室 遍路道 1番札所 参道
 早速、幾人かのお遍路さん
を見かける。
 待合室にある蛍光灯の笠の
上にはツバメの巣が。


1番札所 竺和玉山 霊山寺    Top

 11:50 発心の寺 霊山寺に到着した。初めてのため、お寺の近くにある案内所で、基本的なルールを教えていただいた。白衣等は、通販で購入したが、菅笠がなかったのでここで買い求めた。「四国遍路 作法とお経の意味」と書かれたガイドブックを頂き幾つかの作法を伺った。

 納経所でも、お茶とお菓子を頂きながら初心者の心得を教えて頂く。形だけはお遍路風になってきた。納経所で歩き遍路の記帳をする。大勢の方が歩いているのに驚いた。
発心の門 山 門 本 堂 多宝塔


1番札所から2番札所へ   Top

 12:40 2番札所に向かう。遍路道は、四国の道として整備されている部分が多い。四国のみちは、歴史・文化指向の国土交通省ルート(約1300km)と、自然指向の環境省ルート(約1,600km)がある
 
遍路道には標識が整備され、地図がなくとも歩くことができる(今のところは)。遍路道から参道への入り口等は、車では、別の道を通るので見かけないもしれない。
四国の道 道 標 道 標 参 道
 遍路道は、四国の道として
整備されている部分が多い。
 このような道標が整備され
ていて、次の札所までの距離
が分かる。


2番札所 日照山 極楽寺
    Top

 14:00、2番札所 極楽寺に到着。投句箱があったが、浮かばぬ。というより、そのような余裕がない。この時間で、何処までいけるかが気になる。最近、歩くことが少なく、難所として有名な12番焼山寺が気になる。明日中に11番札所まで歩くために、今日がんばらねばという切迫感でいっぱいのようであった。
山 門 境 内 本 堂 大師堂
  広い境内は、手入れが行き届いている。  


2番札所から3番札所へ         
Top

13:30 二番札所「極楽寺」を出立。
 遍路道にはいろいろな目印があり地図なくとも歩ける。遍路道は車も通らず、野の道、山間の道、田圃の中をも歩く。気持ちはよいが、自動販売機がなく、飲み物の調達ができないのには困った。すぐ近くの自動車には、コンビニや自販機が遠目に見える。疲れて道標を見逃さなければ大丈夫。

 ここで一句。「陽炎に道に迷うも遍路かな」・・・しかし、遍路は、春の季語であることを後に知る。残念ながら、季重なりの駄作となった。遍路と季節の関係を知らないので、春の季語となっている感覚が良く分からない。
道 標 遍路道 遍路道 お地蔵さん
 お寺を出たところの道標。
すぐに、向かう方向が分かる。
   道に沿って多くのお地蔵さんが祭られている。大地に根差した信仰心が思われる。

道 標 遍路道 遍路道 遍路道
 「へんろみち保存協会」の道標。この道標が歩き遍路を助ける。  田圃歩の中の遍路道。あぜ道である。雨の日は、要注意。  遍路道から、3番札所金泉寺へ向かう。


3番札所 亀光山 金泉寺    
Top

 14:00から 三番札所「金泉寺」参拝。納経所で、今日の宿も紹介していただく。この時間からではと、5番と6番の間の「寿食堂を」紹介していただいた。さっそく電話で予約、今日の宿が決まりホッとする。
遍路道から 山 門 本 堂 大師堂
 遍路道から第3番札所金泉寺に入る。


3番札所から4番札所へ    
Top

 1:0 三番札所「金泉寺」を出立。
 4月末ながら、初夏のような暑さで1時間強歩く。足腰が痛くなってきた。荷物を持ちすぎたので肩も痛い。次回からは、余分なものは持たないようにしたい。
遍路道 遍路道 奥ノ院 遍路道
 遍路道の道標。  民家の間を縫って歩く。  三番札所「金泉寺」の奥ノ院。  まさに、野山を分け入って歩く。


4番札所 黒巌山 大日寺   Top

 1:0から四番札所「大日寺」参拝。
 4月末ながら、初夏のような暑さで1時間強歩いて到着。遍路道も整備されて歩きやすかったが、暑さに閉口した。
山 門 境 内 本 堂 大師堂
     


4番札所から5番札所へ     
Top

 15:50 四番札所「大日寺」を出立、5番札所「地蔵寺」に向かう。
 遍路道を歩くと五百羅漢に着く。眼下に地蔵寺が一望できる。地蔵寺より出て、改めて山門より入る。
遍路道 遍路道 五百羅漢 地蔵寺
 のどかな遍路道を歩く。  遍路道のお地蔵さん。  遍路道からは、五百羅漢の境内から入る。ゆとりがなく、五百羅漢は参拝しなかった。  五百羅漢から地蔵寺を望む。


5番札所 無尽山 地蔵寺
     
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 1:0から 五番札所「地蔵寺」参拝。
 このあとは、宿に行くのみと、がぜん元気が出てきたような気に。

山 門 山門前の石碑 本 堂 大師堂
 「百薬に優る遍路に出でにけり」    境内の雄大な大銀杏と大師堂。

5番札所から宿屋へ     Top

16:50 五番札所地蔵寺」を出立、6番札所の途中にある宿屋に向かう。
 ここで、自販機を見つけ喉を潤す。遍路道には、自販機が少ないので気を付けた方が良い。途中、「乗っていきませんか」と声をかけられる。また、宿屋からは、「迎えに行きましょうか」と電話が入る。親切に思っていただく。お接待の心を感じるが、意地を張って歩く。後に反省。
 宿屋では、鴨鍋にうどん、ビールも格別であった。途中であった若者もこの宿で一緒になり、食事でも楽しい一時を過ごせた。人との関わりあいが遍路の絶えない理由のような気がしてきた。
せっかく歩いたのに食べ過ぎに反省。

参 道 道 中 今日の宿 今日の宿
 16:50地蔵寺の山門を後にする。  遍路道を外れ、今日の宿に向かう。  初めての宿。寿食堂さんでお世話になりました。  まず、金剛杖を洗っていただいた。初めてのこと、新鮮な神秘的な心持になる


2日目

 平成24年(2012年)4月29日(日)年齢のせいか5:00には目覚める。昨夜は、眠いが体が興奮気味で寝つきが悪かったが、目覚めは爽快。朝食までの間、心静かに納札の住所と名前を書く。何か、写経でもやっているような感じがした。
 朝食では、食堂の食卓にマッチ箱と五円玉が置いてあった。これもお遍路への気遣いと、朝から感謝の気持ちになる。宿屋の主によれば、ゴールデンウイークに予約なしで巡礼するのは、心配であると。何とかなるとの思っていたら、歩き遍路は、12番の手前と下りた後の宿屋は混むとのこと。鴨島駅前の「さくら旅館」と13番札所近くの「名西(みょうざい)旅館を紹介していただき。予約した。幸いOKであったが、13番札所近くには何時になるか不安ではあったが。

 下の図は、当日の足跡である。


6番札所 温泉山 安楽寺     Top

 6:50宿を出る。7:10から六番札所「安楽寺」参拝。
 弘法大師が温泉を見つけたことに山号が由来していると聞く。宿坊があり、次回は宿坊の旅も良いかと思う。

         

遍路道 山 門 境 内 多宝塔
 遍路道の大きな道標から6番札所参道に入る。

本 堂 宿 坊 大師堂 由来
 渡り廊下を過ぎると本堂に行く。  山号に相応しい温泉があると聞く。次回は、宿泊したい。  弘法大師が温泉治療の利益を伝えた旧跡という。


7番札所 光明山 十楽寺
     Top

 7:50から七番札所「十楽寺」参拝。 2日目で、早くも足の痛みがでてきた。豆ができ始めたようだ。靴を脱いでテーピングするも遅いようだ。靴が合わぬか、日頃の歩き不足か、足が軟弱になってきている。
山 門 参 道 本 堂


7番札所から8番札所へ   
  Top

8:20 七番札所「十楽寺」を出立。
 「熊谷寺まで4.2km」の看板が目に入る。約1時間の道のり。遍路道には人影が少なく、前後を見ても1人しか見えない。大きな道路に突き当たると沢山のお遍路さんが歩いている。安心して後を歩くと「9番札所 法輪寺」の看板が目に入る。向かっているのは8番札所、8番は何処にと思い、振り返るとお遍路さんが出てくる道が目につく。後戻りして8番札所に向かう。どこかで間違えたようだ。

遍路道 遍路道 遍路道
遍路道の道標。


8番札所 普明山 熊谷寺     Top


 9:20から八番札所「熊谷寺」参拝。
 途中、迷ったが、無事、熊谷寺に到着。小さな山の中腹にあるお寺だが、徳島平野を一望できる。


山 門 山門由来 多宝塔
 山門(仁王門)は、四国八十八か所の中で最大である。  四国で最古の多宝塔であり最大である。


本 堂 大師堂 境 内


8番札所から9番札所へ

 1010 八番札所「熊谷寺」を出立。
 昨日と違い、風は涼しく気持ちがいい。先ほど間違えた道を戻り、九番札所「法輪寺」へ向かう。
遍路道の道標           四国の道案内板          


9番札所 正覚山 法輪寺
       Top

 10:40から、九番札所「法輪寺」参拝。本堂前で自転車での遍路の方と会う。今日、走り始めて9番札所、今日中に12番を超える計画だとか、流石、文明の利器。法輪寺山門前の「あわじ庵」の「たらいうどん」有名と聞いたが当日はまだ準備中であった。
山 門 本 堂 大師堂


9番札所から10番札所へ

 11:20 九番札所「法輪寺」を出立。九番札所を出て、11:30頃、逆順の方に出会う。気軽に声をかけられ、「少し行くと、お接待がありますよ。ホンマ、すごいで〜〜」と、たぶん関西の方と思う。確かに、おにぎり、お饅頭、アイスクリームにお茶と沢山のお接待を受ける。今回の遍路旅で、初めて納札を渡した。
道路標示 お接待所 秋月城跡 遍路道
 道路標示にも札所が書かれている  駐車場にテーブルと椅子を並べて迎えていただいた。 お世話になりました。  遍路道の途中に秋月城址の案内板があったので寄ってみた。城跡は、分かり難かった。  右に曲がり、歩き遍路の道に入る。


10番札所 得度山 切幡寺       Top

 12:30 十番札所「切幡寺」参道前に到着。旅館やうどん屋が軒を並べにぎやかである。333段の階段を上り、本堂に辿り着く。大塔は大阪「住吉大社神宮寺」が廃寺になっとき移築した国の重要文化財である。ここから見る眺めは、素晴らしい。団体の皆さんが多く、納経所で時間を要した。旅行社の方がまとめて納経を行い、タクシーで巡礼者を追いかけるとのこと。

参 道 山 門 境 内 本堂への石段
 参道には旅館やうどん屋が軒を並べている。  広大な境内である。  本堂に向かう石段。「是より333段」標識がある。


本 堂 大師堂 大 塔 徳島平野
 豊臣秀頼が大阪「住吉大社神宮寺」建立したものを明治初頭に移築したものである。  境内の高台からは、徳島平野が一望できる。


10番札所から宿屋へ

 13:30 十番札所「切幡寺」を出立。
 途中、吉野川を渡る。吉野川を「四国三郎」と呼ぶことを思い出した。「坂東太郎」と呼ばれる利根川、「筑紫次郎」と呼ばれる筑後川と並ぶ、日本三大暴れ川の一つである。今日は静かで、潜水橋を渡ると風が気持ちいい。車は一寸怖いが。
 国道129号に出て、遍路道には入らず、国道を歩いて今日の宿「さくら旅館」に向かう。
 16:00JR鴨島駅到着、旅館は見えず、電話すると通り過ぎたらしい。本日、3回目の迷い道。「二度あることは三度ある」とは、よく言ったものだ。
 16:10 さくら旅館到着、多くのお遍路さんで賑わっていた。夕食は、名古屋から来た初めての歩き遍路方と2巡目の方と同席した。西国三十三所や熊野古道の話で盛り上がり、あっという間の1時間であった。ビールも旨い、楽しい一時であった。ただ、足の痛みに明日が心配。


川沿いの遍路道 川沿いの遍路道 潜水橋 さくら旅館
 アップダウンはないが、ひたすら歩くのも堪える。  吉野川(たぶん)に架かる潜水橋。欄干がなく、大水では水没することから名づけられいる。車のすれ違いは怖い。  さくら旅館。焼山寺のため、二日間、荷物を預かっていただいた。翌日の昼食のお接待の弁当には、粋なメッセージが添えられていた。



3日目

 平成24年(2012年)4月30日(月)朝起き、荷物を担ぐと、ズシント重い。不要なものを取りだし、旅館に預けることとした。気持ちよく預かっていただいた。
 6:30にさくら旅館を出発。大半の方は、既に出立しているようだ。早い人は、5時に出ているという。
 今から思えば反省しきり。12番札所「焼山寺」は、難所なので、前日は11番札所の納経を済ませるのが良い。翌日早立ちができる。12番の後の宿は、神山温泉が良いと思う。13番が楽になる。
 ただし、体調によっては、12番の宿坊や鍋岩荘が近くてよい。鍋岩荘は、忙しいと電話に出ないので、タイミングを見て頻繁に電話する必要があるらしい。
 下の図は、当日の足跡である。なお、鴨島駅から、11番所間はGPSの電源を入れ忘れていた。この日は、JR鴨島駅近くの旅館から歩いている。



11番札所 金剛山 藤井寺     Top
 

 6:30鴨島駅前のさくら旅館を出立、7:00頃には十一番札所「藤井寺」到着。納経所の方に「早いですな」と声をかけられた。やはり、前日に参拝して早立ちの方が多いように思う。
 
山 門 本 堂 大師堂 焼山寺への入山口


11番札所から12番札所 焼山寺へ

 7:20入山、いよいよ焼山寺に挑む。入山早々に地元の方から声をかけられた。「これからお遍路ですか?大変ですからジュース持って行ってください」と言われ、野菜ジュースを手渡された。戸惑いと感謝で、「納札」をお渡しすることなく頂いた。どのように手渡したらよいかも良く分からない。申し訳ないと思いながら進む。
 暫くすると「遍路ころがし1/6」の標識が目につく。六か所の急峻な坂があると容易に想像がつく。雨が降ってきた、雨合羽を着るとサウナのような環境。幸い、すぐに脱ぎ捨てたが、雨が続くとどうなったか心配である。

 8:30「水大師」湧水があり、水分を補給。次の水飲み場は4km先の表示と焼山寺6.3kmの表示。
 9:50柳水庵到着。水場もあり、暫し休憩。振り返れば、3km/hなので、自分としてはさほど遅くない印象である。柳水庵を少し下ると、東屋のような小屋があり遍路が泊まれるようになっている。居合わせた方によれば、夜には何か出るようである。
 
10:55 一本杉庵到着。まさに、弘法大師が杉を背に睨みつけるような出迎えである。
山二つを越えたと思う。最後の「遍路ころがし」の標識には6/6と記載されていた。最後の難関かとホッとしたが、さすがに、最後はしんどかった。
 
12:40本堂到着。約13km、6箇所の「遍路ころがし」もあり、5時間20分を要した。2.4km/hは、遅いような気もするが、なまくらな足腰では、まあまあの出来栄えと思う。

焼山寺入山口 道 標 遍路道 へんろころがし
 11番札所 藤井寺の境内から焼山寺への道が続く。  道標には、「焼山寺みち」と記されている。  遍路道の難所を「遍路ころがし」と言う。ここ焼山寺は八十八か所中でも難所と言われている。1/6の表示は、六か所の遍路ころがしの1つめ。


遍路ころがし 遍路道 遍路道 水大師の水場
 遍路ころがしの登りが続く。    一山超えると水場がある。ここで水筒に水を補給する。近くには、「水大師」のお堂がある。


水大師 遍路道 柳水庵の水場 柳水庵
   遍路道からの眺望。  2つ目の山を越えた。沢近くになれば水場が用意されている。  


柳水庵下りた東屋 遍路道 一本杉のお大師への道 一本杉のお大師
 ここに宿泊するお遍路も多いとのこと。夜には、いろいろ出てくるらしい。    いかにも最後の上り階段に見えるが・・・・  


遍路道 遍路ころがし 道 標 遍路道
 また下る。たぶん3つ目の山を下ることになる。  最後の遍路ころがし。    焼山寺に向かう参道。近づいてきたことが分かる。疲れた!!



12番札所 摩廬山 焼山寺      Top


 12:40本堂到着。弘法大師が山に登ろうとしたとき、火を吐く大蛇がいて、山のあたり一面が火の海だった。弘法大師が近くの川で身を清め入山すると火が消えたと言われている。30分ほど歩く奥ノ院の途中に大蛇を閉じ込めた巌窟があると云うが、気力、体力ともになく断念した。
 納経所で、今日、どこまで行くかと聞かれたので、13番札所近くの宿をとっているが、無理ならバスかタクシーで行くと告げた。すると、バス停の地図とバスの時刻表を手渡して親切交通手段を説明して頂いた。自分でも不安であったが、山を下りバス停までは1.5〜2時間程度とのことで、にわかに安心した。

 13:05下山開始。雨も上がり快適なウオークと思ったが足が痛い。途中出会った若者と一緒に下山した。彼も足がきているようで同じペースとなった。



山 門 境 内 本 堂 大師堂
   杉の巨木が林立する境内の石段を登っていく。    


12番札所から宿屋(13番札所近く)へ


13:05下山開始。
 雨も上がり快適なウオーク。ただし、下りは一本調子の下り坂、雨のため、何度も滑り危なかったが何とか無事にたどり着いた。14:00頃か、鍋岩旅館付近を通過。ここに泊まれば心配せずにゆっくり歩くことができると思う。帰りは、途中から東京から来たという若者と一緒に下山。お互い、足が痛いので、遍路道ではなく自動車道を下りる。話しながらの道中で気も紛れてよかった。スピードを合わせていただき感謝。旅は道連れとは、よく言ったものだと思った。

 15:20寄居中のバス停着。
 16:00のバスで13番札所まで行く。大日寺のバス停と聞いていたので「大日寺」があると思ってボーとしていると、バスの運転手さんから間もなく付きますとの声、バス停の名は「一ノ宮札所」、乗車時に、大日寺に止まるか聞いておいてよかった。徳島まで行くところであった。車中、雨の中、多くの歩き遍路を見かけた。この時間になると、疲れているのが一目でわかる。

 16:40「一ノ宮札所」着、名西(みょうざい)旅館に泊まる。宿のご主人が傘を持って出迎えてくれた。
 翌日は、バスで寄井中のバス停まで戻り歩こうかと思った。しかし、宿の83歳の女将曰く、「そんなことしないで、先に進みなさい。これも、何かの縁。初めてなら、どんどん先に進みなさい。車で行ったところは、覚えていて、次に来た時に歩けばよろしい。お接待も同じで、車で送りましょうと言われたら乗りなさい。次に歩けばよろしい。お接待を受けないと、そのうち、お接待の声がかからんようになる。次に歩けばよろしい。歩き遍路をやる人は必ず二回、三回とやる。何十年も見てきたから分かる」と。明日は、十三番大日寺を参拝して次に向かうことと決めた。「歩かねば症候群」に陥ったのかも。

 女将によれば、宿は、翌日の手配をするのが良いと。宿で聞けば、その人の具合を見て、次の宿を紹介してくれるとのことであった。
 夕食時、女将が焼酎で作った妙薬をくれた。筋肉痛が取れるとか、早速、部屋で体中に塗った。隣部屋は、ハワイから来た外人さん。1か月の歩き遍路をしているという。ある方は、藤井寺から3時間20分で焼山寺まで上ったとか、しかし、3時間10分で上った女性がいるらしい。いろんな人が廻っている。ちなみに、私は、5時間30分を要した。


遍路道 遍路道 遍路道 お 堂
 絶景の気持ちの良い下山道。周りを見る余裕が出てきた。      謂れは分からぬが、遍路道の途中にあり、熱心に拝む方がいる。


遍路道 寄居中バス停 名西旅館 宿にて
 近くの直売所では、美味しい梅干しが売られていたので、梅林と思われる。  15:20寄居中のバス停、本日は、ここで断念。  大変お世話になりました。女将には教えられました。  菅笠の前にあるのが、焼酎で作った疲労回復の妙薬。



4日目


 平成24年(2012年)5月1日(火)。7:00宿を出ようとすると、女将が「今日は、どうする」と聞いてきた。今日は、前に進むつもり、昨日、さくら旅館に荷物を預けたので、行けるところまで行って、JR鴨島駅に戻り、翌日には帰るつもりだと言った。女将は、「それなら、17番まで4時間半かかり、その後、徳島駅まで2時間程度なので、徳島駅まで歩くと次につながる」とアドバイスしてくれた。
 出立のとき、最後の注意として、「帰ったら、金剛杖は、玄関の内側に上に掛けておきなさい。そうすれば、毎日、拝むことになるから」と、高野山のお坊さんから、初めての人には、教えるよう言われたらしい。
 7:30旅館を出る。下の図は、当日の足跡である。



13番札所 大栗山 大日寺     Top


 7:30から、十三番札所「大日寺」参拝。境内で、昨日さくら旅館で一緒になった方に出会う。神山温泉付近に早く着いたので、大日寺まで5.5kmのペンションに宿泊したとのこと。健脚の方は違う。
 一宮神社と向い合せにあので、バス停は、「一宮札所」となっている。山門を入ると「しあわせ観音」が立っている。合掌した手の中に観音様があり、幸せを願うのが良いと言われている。


山 門 本 堂 大師堂 一宮神社
 山門を通して合掌した手の中の観音様「しあわせ観音」が見える  波一宮神社は、道路を隔てて向かいにある。神仏習合の時代には一体化していたとのことであった。


13番札所から14番札所へ


7:55 十四番札所に向かう。13番札所から14番札所までは、約30分の朝の散歩であった。
遍路道 遍路道 遍路道 一宮神社
 路傍のお地蔵さん。遍路道では多くみられる。  遍路道を示す道標。赤いステッカーは遠くからも分かり、大いに助かります。  遍路道からの眺望。  溜め池の横を通り抜けると14番札所常楽寺の参道に入る。


14番札所 盛寿山 常楽寺         Top


 8:30から、十四番札所「常楽寺」参拝。本堂の前の石畳が岩そのもの。岩の上に建てたお寺のように思える。納経所で「お気をつけて」の言葉がありがたい。元気が出てくる。
参 道 山 門 本 堂 大師堂
   参道から階段を上ると本堂が見える。  岩の上に立つ本堂。手前の岩盤が際立つ。本堂の前の大木は、「あららぎの霊木」。  


14番札所から15番札所へ


8:55 十四番札所を出て、十五番札所に向かう。歩いて15分で十五番札所に着く。


遍路道 遍路道の道標 お 堂 遍路道
   遍路道の樹木にも赤いシールが貼られている。  遍路道の途中のお堂。たぶん由緒あるものと思う。  遍路道の傍らにあるお地蔵さん。


15番札所 薬王山 国分寺       Top


 9:10 十五番札所「国分寺」に到着し参拝。天平13年(741年)桓武天皇の勅旨により全国に建立された国分寺の一つである。昭和53年から発掘調査が始まり、当時は、方二町(約218m四方)の広大な寺院であった。


山 門 鐘楼・本堂 大師堂 境 内
   



16番札所 光耀山 観音寺      Top


 十五番札所から十六番まで約30分で歩けた。途中、自転車に乗ったオッサンから「まだまだあるぜよ」と声かけられたが、間もなく到着した。大通りからの分岐道は、分かり難くく見過ごしそうになった。要注意である。
 10:05 十六番札所「観音寺」に到着し参拝。街中の小さなお寺である。周囲の道が細く、すれ違う車が危ない。


山 門 本 堂 大師堂 境 内
   


17番札所 瑠璃山 井戸寺    Top


 十七番に向かう途中、道に迷った。どこかで「遍路シール」を見落としたのか、標識が全くない道路をさまよう。人もいなく、困ったまま歩くとJR府中駅に辿りついたので、現在地が判明した。
 11:25 十七番札所「井戸寺」に到着、参拝。寺号の由来は、弘法大師が錫杖で一夜にして井戸を掘ったことによる。井戸の水に映った大師の面影を石に刻んだ御尊像があり、日を限って心願をかけると御利益があると言われている。境内の一角に「日限大師」と「おもかげの井戸」が祭られているお堂がある。
 今回、最後のお寺、暫く、のんびりボーとして過ごした。よく見ると、歩き遍路の人は、見たことある人ばかり、だいたい、同じペースなのか。


山 門 本 堂 大師堂 日限大師
     寺号に由来する「おもかげの井戸」がお堂の中に祭られている。



17番札所からJR徳島駅へ


 12:05井戸寺を出て徳島駅に向かう。遍路道を辿り、国道192号線をまっすぐ歩いた。国道は、面白味もなく、足も痛み、辛い道中であった。途中「お〜〜い、がんばれ」と遠くから、声をかけて方がいた。遍路装束で辛そうに歩いてるように見えたようだ。事実、その通りだったのだが。
 14:00徳島駅着、予定していた2時間であったが長く感じた。


遍路道 遍路道 JR徳島駅
     



5日目

 平成24年(2012年)7月21日(土)歩き遍路を再開。
 区切り打ちの場合、区切りの最後の札所で、大師堂で打ち止め(区切り)の報告をし、再度、打ち始める時は、打ち止めした札所から始めるのが、正式な方法らしい。しかし、3泊4泊の短期でつなぐので、前回終了した場所から始めることとした。今回は、前回JR徳島駅で終わったので、今回、徳島駅を起点に再開することとした。
 当初のプランでは、20番札所の鶴林寺の登り口近くの民宿に泊まれば翌日の急峻な山越えが楽になるとの思惑があったが、此の暑さでは、立江寺から更に10kmはとても無理と思い、休憩所から立江寺近くの民宿「鮒の里」に電話し予約する。ご主人曰く、「今、遍路に出ているが夕方には戻る。今の時間ならば到着が早いので、鶴林寺方面に向かい、明日の距離を少しでも稼いだらよい。そこまで車で迎えに行く。」と。宿の目処がつき一安心。下の図は、当日の足跡である。



JR徳島駅から18番札所へ


 大阪駅を6:40に出発するJRバスで徳島に向かう。9:20には、徳島駅に到着。大阪から四国は近いものだ。駅の観光案内所で国道55号線までの道を聞き、地図を頂く。親切に教えていただいた。うだるような暑さ、蒸し暑い。熱中症は大丈夫か、体力が持つか不安になる。
 9:40近くの公園で白衣等を着て遍路装備で歩き始める。国道沿いを歩いたので、アスファルトからの照り返しと排気ガスに悩まされた。その上、日陰の休憩所がない。
 11:50歩き遍路のための「露ヶ本休憩所」で休憩。置かれているノートを見ると多くの方が利用している。
 ここで一句。---炎帝に旅人助ける休憩所---炎帝の睨みも弱し大師堂---12:30まで休憩すると随分回復したような気がした。


JR徳島駅 眉 山 国道55号線 露ケ本休憩所
 徳島市の名所、眉山を右手に見ながら国道55号線を歩く。暑い。  国道沿いには、日影や休む場所がない。炎天下の歩きには辛い。  国道55号線にある。歩き遍路に用意された休憩所。国道には日影がないので大いに助かる。


18番札所 母養山 恩山寺    Top

 13:20恩山寺に到着、参拝。もとは女人禁制のお寺であったが、弘法大師が修行中、母の玉依御前が讃岐より訪ねてきたが会えなかった。そこで、女人解禁の秘法を修して成就。母を迎え入れ孝養を尽くされたという。山号の由来である。
 徳島駅から歩いて約3時間40分(途中、40分休憩)、とにかく疲れ果てた。暑さと日頃の運動不足が響いたと思われる。

参 道 本 堂 大師堂 境 内


18番札所から19番札所へ


遍路道(弦巻坂) 遍路道 遍路道 遍路道
 源義経軍は、釈迦庵から恩山寺に登る坂の向こうに敵兵がいないことを知り、動きやすく弓の弦を巻かしたので弦巻坂という。  「すだち」と思われる畑の中
を歩く。
 参道に入っていると思われる。立江寺も近い。


19番札所 橋池山 立江寺        Top


 遍路道から行くと、山門ではなく、裏門から入ってしまう。改めて山門から入る。お寺は、聖武天皇の勅願により天平年間に行基が開山した。その折、白鷺が霊域を示したとされている。
 お経を唱えるが、3辺唱えるところ何回目か分からなくなるほど疲れている。年のせいかも。


山 門 本 堂 大師堂 境 内


19番札所から宿屋へ


 立江寺から30分程度歩いたところで鮒の里のご主人から電話があり、「櫛淵農協前」のバス停でピックアップしていただく。「鮒の里」は古民家風の作りの民宿で、囲炉裏端風のテーブルで食事を頂く。ビールが美味い、酔いも早い、1本で十分。素麺が口当たりも良く、やけに美味かった。
 明日は、鶴林寺、太龍寺と500mの山越えが2つあるので、太龍寺山麓の民宿に泊まるつもりでいた。すると、気さくな女将が「明日、早出すれば、平等寺まで行ける。夏は、遍路さんが少ないので休業している民宿もあるので気をつけたほうが良い」とのことであった。あわてて、予定している民宿に電話すると、明日は、休業とのことであった。荷物も重く、二山越えての30kmは無理と思案に暮れていると、ご主人から「明日は暑いので、荷物を置いて軽くし、朝は、5時から食事できるので、早出し、太龍寺を下りたところまで迎えに行ってあげる。太龍寺から電話すればよい。」と言われ、その方法で難所を切り抜けることとした。宿泊は1人のみ、大いに手間をかけて申し訳ない思いである。
鮒の里
                  
      
 宿泊1人だけのために、わざわお世話になりました。
    
                  
   
  
                 
          
   


6日目


 2012年(平成24)年7月22日(日)立江寺近くの民宿から20番札所から21番札所に臨む。焼山寺に次ぐ難所と言われている。
 4:00起床。朝から蒸し暑い感じがする。「鮒の里」に連泊することとしたので、荷物が半分程度の重さになった。昨夜の洗濯物を取り込んだり、荷造りをしていると、4:40には「ご飯できました」の声がかかる。2階の部屋は、1回からの吹き抜けになっているので声は良く聞こえる。普段より多目の朝食を取り5:10過ぎには宿を出た。お接待のお握り2個と凍ったペットボトルを頂いた。凍ったペットボトルは、タオルに巻きバッグに入れた。鶴林寺まで凍っていた。こんなに早い時間から準備していただき感謝の限りである。
 5:20昨日歩いたところまで送っていただき、歩き始めた。幸い、足の痛みも無く、気温も25度程度のため快調に歩くことができた。7:00登山口前、旅館「金子や」がある。道路の向かい側には、消防団の建物があり、トイレが常時開放されている。自動販売機があり、ここが登山前の中継地にはよい。

 下の図は、当日の足跡である。


宿屋から20番札所へ


 5:20昨日歩いたところまで送っていただき、歩き始めた。幸い、足の痛みも無く、早朝のため気温も25度程度のため快調に歩くことができた。7:00登山口前、旅館「金子や」がある。道路の向かい側には、消防団の建物があり、トイレが常時開放されている。自動販売機があり、ここが登山前の中継地にはよい。
 7:20「鶴林寺18丁」の標識、約2kmの山登りである。7:40「鶴林寺1.5km」の標識、5分ほど休憩。この地点で標高210m。8:05鶴林寺900m地点で5分休憩。やや曇りで高度のせいか風が爽やかに感じる。山のいたるところで鶯の鳴き声が聞こえる。鶯の谷渡りの声も長い。この時期の鶯は、熟練していて声量がある。鶯の谷渡りは春の季語、今日は暑くなさそう。あと800m地点からは、山の稜線を歩く。風が心地いい。8:25地点で岩肌で足が滑り転倒しそうになる。
8:35鶴林寺駐車場に到着。標高490m、10m上れば本堂に着く。駐車場で白衣を着て遍路装束を調え、お寺に向かう。薄っすらと霧が立ち込め、涼しく、幻想的な風景が広がっていた。


開始点 遍路道の道標 勝浦川の堤防 消防団のトイレ
 5:20徳島バス「農協前」バス停から開始。昨日、民宿「鮒の里」さんにピックアップして頂いた場所に送って頂いた。  遍路道の道標。歩き遍路では、鶴林寺を経由して太龍寺向かうが、道標は逆方向で
ある。車用と思われる。
 勝浦川の堤防を歩く。6:15頃、気温は24℃。やや湿度が高い感じがするが快適である。  入山口前に消防団があり、トイレが解放されている。近くに、最後の自販機があり、暫し、自分を点検し入山する。


開入山口 鶴林寺さんの注意書き 遍路道 遍路道
 7:10鶴林寺への入山。ここには、徳島バスの「生名」バス停もあり便利である。  入山口近くの旅館「金子や」前の掲示板に張られていた。孫子の兵法「敵を知り、己を知れば・・・」である。  7:20いよいよ登り始める。
 7:30頃、近くには朽ち果てた藁葺の民家が一軒。ふと、わびしさを感じる。


遍路道 遍路道 遍路道 遍路道
 厳しい登り道も多い。  遍路道からの眺望。  間もなく山門。霧が立ち込め幻想的な雰囲気の中歩く。


20番札所 霊鷲山 鶴林寺        Top


 8:40山門に到着、本堂前で高度計が500mを示す。境内に飲み物の自販機は無く、宿で頂いた氷水で渇きを癒した。薄らと霧が立ち込め、より一層、幽玄な趣が漂う。弘法大師がこの寺を訪れた時、二羽の鶴が地蔵菩薩を守っていたと言われているように、本堂の前には、二羽の鶴が対をなしていた。
 「一に焼山、二にお鶴、三に太龍寺」と言われている。体調もあるが、焼山寺に比べれば歩きやすい。


山 門 境 内 境 内 三重塔
 8:40頃、朝霧が立ち込め幽玄の世界を醸し出す。 仁王像は、運慶作とと云われる。  見事な苔筵が広がる。    三重塔は、江戸末期に再建されたもので、各層は、その様式が異なる。和様、唐様の手法が見られる。


本 堂 鶴の像 大師堂 鶴林寺の丁石
 本堂の両脇には、金の地蔵尊を運んだ鶴が配されている。  南北朝時代に建立されたもので、現在11基が残っている。丁石には、年号が刻されている。



20番札所から21番札所へ

遍路道 遍路道 遍路道 遍路道
 9:20太龍寺に向かう。  太龍寺に向かい下って行く。登りに向けて。  四国は、溜め池、水が少ない地方との印象が強いが、このような水場を多く見かける。  9:50遍路道の道標。鶴林寺へ1.1km、太龍寺へ5.2km。下りで時速2kmは遅い。歳のせいか下りが怖い。


遍路道 遍路道 遍路道 遍路道
 10:00遍路道を歩く。  足元の不安なところもある。  10:10整備された遍路道は、快適。気持ちが良い。  遍路道の途中の神社。暫し休憩。


遍路道からの眺望 道 標 遍路道からの眺望 遍路道
 10:15集落が見えた。間もなく下山となる。  下山し、集落を歩くと遍路道のシールがたくさん貼られていた。英語版もある。  10:35那賀川に架かる水井橋を渡る。いよいよ、太龍寺の山に入る。  10:40太龍寺の入山口。道標の脇には、水道の立水栓がある。水も出る。


遍路道 遍路道沿いの東屋 遍路道沿いの東屋 遍路道に沿う渓流
 10:45気持ちの良い緩やかな登り道が続く。  11:00頃、渓流沿いの遍路道の東屋。  渓流沿いの東屋で暫し休憩する。宿で頂いた焼おにぎりが旨い。渓流のせせらぎと涼しげな風。誰も居ないし、来ない。不思議な風景になる。  各地を歩いているが、気持ちの良い渓流。歩みを遅くして楽しんだ。


遍路道 遍路道 遍路道 遍路道
 渓流に沿って歩く遍路道。清々しい。11:20頃。  11:30頃、再び、険しい登り道に入る。  11:30階段の上りに差し掛かる。「是ヨリ十二丁」の道標あと、1.3km  一本調子の上りが続く。


21番札所 舎心山 太龍寺        Top

 12:20山門到着。焼山寺に匹敵する難所と聞いていたが、思ったより快調に登ることができた。ロープーウエイがあるので、参道には人がいない。ゆっくりと霧の中の道を歩いた。何か幻想的な神秘な場所にいるような感じになる。「西の高野」と言われるのが分かるような気がする。
 山門には、足腰が強くなる「健康わらじ」が奉納されていた。本堂は改築中のため、仮本堂に参拝。この頃から小雨が降り始めた。傘を差すほどではなく、気持ちの良い雨となった。鶴林寺の登山道の途中で見かけた女性の歩き遍路の方と会う。平等寺まで歩くとのこと、健脚の女性である。今回の歩き遍路で出会ったのは彼女だけであった。
 時間もあるので、参拝後、ロープーウエイを見学。発着場で「きのこ茶」を頂いた。美味い。遍路を歩くと口にするもの全てが美味いと思う。13:30「鮒の里」に電話をしてから下山。




参 道 山 門 山門の奉納わらじ 参 道
 12:20遍路道から山門が見えてきた。参道には人がいない。ゆっくりと霧の中の道を歩いた。  山門には、足腰が強くなる「健脚わらじ」が奉納されていた。  山門から、参道が続く。


境 内 仁王門 本 堂 大師堂
 現在本堂は、改修中。仮本堂が設けられていた。


多宝塔 龍天井 ロープーウエイ 境 内
 持仏堂の龍天井。  標高600m付近にある太龍寺に10分で上れる。山の反対側、阿南側からでは、駐車場から2km上ることになる。  ロープーウエイ側から見た境内。


21番札所を下山し宿屋へ    Top

 13:30「鮒の里」に電話をしてから下山。2km下ったところに駐車場がある。ロープーウエイの反対側(阿南市側)から車で上った参拝者は、ここから歩くことになる。途中、数名の方とであった。
 14:30下山、民宿坂口屋の前で宿の車に拾っていただいた。ここからは広い車道になる。宿まで車で20分、相当に歩いたものだ。
 15:00「鮒の里」到着。17:30から早めの夕食。日頃は、酒が多く、食事をしない場合が多いが、2日続けて、たっぷりの夕食をとった。今日も素麺が美味い。かつお、山菜、李と全て美味い。
 23番札所の宿を心配したら、23番札所付近は宿が多いから心配ないとアドバイスを頂いた。明日も暑そうなので早出が良いとのことで5時に朝食をお願いした。


遍路道標 遍路道 遍路道 山麓の宿屋
 14:30下山。遍路道を示すシール(道標)の英語版もある。  緩やかな下りrが続く。  4:30遠くに山麓の宿屋が見える。  遍路道を下ると、2件の宿屋がある。龍山荘と坂口屋である。



7日目

 2012年(平成24)年7月22日(日)4:00起床。前日と同じように、暑さ対策のため早出をする。昨日ピックアップしていただいた坂口屋前まで送っていただいた。本日は、酷暑の中の約30kmを覚悟して臨む。
 5:50歩き始める。途中、6:30子供たちが朝のラジオ体操に集まってきている。「お遍路さん、お遍路さん、道はこっちだよと」声を掛けながらついてくる子供もいた。皆、元気に挨拶を交わす気持ちのいい朝となった。日常の中にお遍路がいるのだろう。何か、昔の風景を見ているようで、懐かしくなった。里山の遍路道が長く伸び、草の香りや小川のせせらぎと共にゆったりと歩くことができた。
 大根峠を経由し、平等寺を参拝した。平等寺からは、田園や海岸に沿って約20kmを歩き、15:20に23番札所薬王寺に到着した。途中は、多くの遍路休憩所が設けられ、標識もこの付近独特の大きな標識が導いてくれた。この標識は、距離表示がありペース作りに便利であった。
 薬王寺近くの宿が取れなかったので、日和佐の道の駅から17:28発高速バスで大阪に帰った。


太龍寺山麓(昨日の中断地点)から22番札所へ     Top


 鮒の里の御主人に、昨日ピックアップしていただいた坂口屋前まで送っていただいた。本日は、酷暑の中の約30kmを覚悟して臨む。途中で宿泊しても良いと弱気のでスタートである。
 5:50歩き始める。6:30子供たちが朝のラジオ体操に集まってきている。「お遍路さん、お遍路さん、道はこっちだよと」声を掛けながらついてくる子供もいた。皆、元気に挨拶を交わす気持ちのいい朝となった。たぶん、日常の中にお遍路がいるのだろう。何か、昔の風景を見ているようで、妙に懐かしくなった。この辺りの遍路道は、里山の風景の中を長く伸び、草の香りや小川のせせらぎと共にゆったりと歩くことができた。
 6:50階段の上り道に入る。10分程度であるが足が重く感じた。大根峠には「平等寺3km」の標識があった。最近、下りはめっきり苦手になった。昨日の雨のせいか、年のせいか、剥き出しになった岩や木に根に滑ったり躓いたりするようになった。30分ほど下ると山道も広くなり10分歩ほどで下山した。下山したところにお遍路のための休憩所があり、水を飲むことができる。


遍路道 途中で出会った子供 遍路道 遍路道
 5:50平等寺に向かい歩き始める。  6:20頃、ラジオ体操に向かう子供がついてくる。ややペースを落としのんびり歩く。  大きな通りから遍路道に入る。分岐点を子供に教えてもらう。  6:40頃、朝の清々しい里山を歩く。


遍路道 遍路道 大根峠 遍路道
 四国の道の道標が見える。  6:50頃、上り道に入る。  7:00大根峠に着く。10分程度の上りに息が切れた。  下りに入る。平等寺も近い。


休憩所 遍路道 遍路道 遍路道
 7:40頃、下山したところに休憩所が設けられていた。標識によれば、善人宿(遍路のための無料の宿)もあるらしい。  遍路道のお地蔵。  8:00頃、平等寺が見えてきた。


22番札所 白水山 平等寺        Top

山 門 水 屋 女 坂 男 坂
 8:00山門到着。  水屋には、楓(たぶん)が浮かべられ、涼しさを醸し出す。うれしいおもてなし。  本堂に向かう女坂。


お賽銭 本 堂 本 堂 大師堂
 石段に置かれた厄除け祈
願のお賽銭。
 本堂の格天井には花鳥が
描かれた。


22番札所から23番札所へ     Top


 8:50薬王寺に向かう。当初、田圃の中の道を歩く。アスファルトの道ながら風は涼しい。まだ7月なのに稲穂は頭を垂れている。やや分かり難い分岐があり、「御水大師」を経由して、山間の遍路道を歩く。「四国の道」として遍路道を中心に整備されたようで、気持ちよく歩きやすい。日陰が多く、車は少ない。国道55号線沿いに出るまでの40分間で車は1台だけであった。
 10:20国道55号線に出る。途中の標識によれば、「四国の道(旧来の遍路道?)」経由で薬王寺まで44km、国道55号線経由で15.3kmである。遍路みちシールに従い、国道55号線に沿って歩く。
 10:50頃、国道55号線を外れ、海岸方向に遍路道が続く。11:06「辺川休憩所」に薬王寺まで14.9kmの表示があった。11:18美波(みなみ)町に入る。広い舗装道であるが車は少ない。12:03「薬王寺15.3km、平等寺39.8km」の標識があった。旧来の遍路道をショートカットして現代の遍路道に整備したものと思われる。
 12:10〜12:30「田井の浜休憩所」で昼食と休憩。海岸の歩き遍路のための休憩所で、2階建てになっていて風がとおり気持が良い。上がり口には、「杖たて」も設置されている。この付近は、大き目の遍路用看板が設置されている。次の札所への距離表示もあり分かりやすくて便利である。
 15:56「白浜休憩所」を通過、7.7kmの表示になった。国道55号線から分かれた遍路道には、多くの休憩所が設置されている。すれ違う方々も気持ちよく挨拶していただけるし、車の中からも多くの方が会釈して頂ける。何か、お遍路に対しての思いがあるのだと思う。
 13:00約1kmの遊歩道に入る。俳句の小径と名付けられ、俳句が書かれた杭が並んでいる。俳句を味わいながら歩くのも良いものである。私も一句と思ったが・・・。暫くすると、下りの遍路道になる。人一人が通るほどの道に水が流れている。やや大げさだが、沢下りの様相である。たまり水でタオルを冷やし頭に当てると元気が出てきた。
 14:00突然、田圃が現れ、間もなく恵比寿浜に到着。15:00には市街地に入り、お接待所で、お茶とお菓子を頂く。甘さに敏感になっているのが分かる。
 一泊し、翌日にのんびり帰ろうと思ったが、薬王会館や旅館の宿泊ができなく、その日のうちに大阪に帰った。お接待所で、大阪なら直行バスが出ているので便利と聞いていたので助かった。


遍路道 遍路道シール 遍路道 御水大師
 8:50薬王寺に向かい遍路道を歩き出す。  遍路道の目印となるシール類。多くのシールがある  遍路道は、御水大師を通り抜ける。


遍路道 遍路道 国道55号線の道標 国道55号線の道
 9:50頃、木漏れ日の中を歩く。早い時間、快適な歩きである。  行き交う車もなく快適な歩き道である。この道では、車1台のみ。  国道55号線に出ると、遍路道が2つに分かれる。国道を通らない道が本来だが、今回の旅程では無理。国道を利用する。  遍路道の表示も国道を示している。現在は、このルートを歩んでいる。


休憩所 遍路道 休憩所 遍路道の標識
 10:30頃、国道55号線にも遍路の休憩所がある。薬王寺まで11kmの表示は、国道で向かった場合であった。  国道55号線から、遍路道に入る。長閑な小川に沿って歩く。  11:00頃、辺川休憩所。歩き遍路のために設けられている
。薬王寺まで15km。
 英語バージョンに次いで、ハングル語バージョンが登場した。


遍路道 休憩所 遍路道から 休憩所
 途中「カニに注意」の看板があった。由岐町に数多く生息するアカデガニが産卵のため往来する。歩き遍路はともかく、車の方には、特に注意願いたい。  11:40頃、休憩舎があった。  12:00頃、田井ノ浜に着く。この後、海岸線に沿って歩く。  12:10田井ノ浜休憩所で昼食をとる。心地よい風と潮の香りで、暫し、居眠り。 上がり口には、「杖たて」も設置されているほどの遍路向けの休憩所。

遍路道 遍路道の道標 白浜休憩所 俳句の小径
 12:50頃、海岸に沿って歩く。暑さのわりには気持ちが良い。  この付近は、大き目の歩き遍路の道標が多くある。距離表示があり、分かりやすく便利である。  13:00頃、多く設置されている休憩所の一つ。  13:00頃、約1kmの遊歩道に入る。俳句の小径と名付けられ、俳句が書かれた杭が並んでいる

俳句の小径 遍路道 山座峠休憩所 遍路道
 俳句が書かれた杭が並んでいる。俳句を味わいながら歩くのも良い物である。ここで一句と思ったが頭が不調。  1:20頃、俳句の小径から舗装道に入る。  13:40頃、山座峠休憩所を通過。ゆっくりしたいと思ったが先を急いだ。  13:40舗装道から下りの小道に入る。海岸に向かって下る。地図では平坦なようだが上ったり下ったりの遍路道である。

遍路道 遍路道 遍路道からの眺望 遍路道からの眺望
 13:40頃、人一人が通るほどの道に水が流れている。やや大げさだが、沢下りの様相である。たまり水でタオルを冷やし頭に当てると元気が出てきた。  14:00突然、田圃が現れ、海岸に到着。  14:10頃、恵比寿浜に沿って歩く。途中、老女から「暑いのにご苦労様」と声を掛けられた。なんだか嬉しくなった。  14:40頃、日和佐浦の大浜海岸を望む。子供たちが遠泳の練習をしていた。昔、赤褌を長く伸ばして泳げば鮫に襲われないと言われていたことを思い出した。

遍路道 お接待所 遍路道から 薬王寺到着
 14:45日和佐の市街地に出る。後わずか。  14:45〜15:00お接待所で、お茶とお菓子を頂く。「ひわさうみがめお接待所」の看板があった。甘さに敏感になっているのが分かる。  日和佐城は、いたる所の遍路道からよく見える。長閑な城下町の雰囲気を醸し出す。テレビドラマの舞台にもなったとのこと。  15:00第23番札所薬王寺に到着。阿波の国の最後の札所である。今日は6時間歩いた。なぜか、まだ大丈夫。


23番札所 医王山 薬王寺        Top


 立派な朱塗りの瑜祇塔が印象的。遠くの遍路道からの道標にもなった。この付近で一泊しようと、薬王会館に電話した。しかし、予約が無かったので宿の担当は今日はいないとのことであった。薬王会館は、宿坊であるが、民間に委託しているとのこと、経費を考えれば、予約が無ければ閉じるのは当然と思う。前日は当日の早い時間の予約を心掛けたい。
 お寺の納経所で宿の一覧を頂き、近所の宿を紹介していただいたが、全て、宿泊はできなかった。昨日、前泊の宿の女将が、夏場は歩き遍路が少ないので休んでいる宿が多いと言っていたのを思い出した。
 16:30道の駅のバス停から帰ることとした。時間があったので、物産館で情報収集した。親切に対応して頂き、室戸の地図や旅館の一覧を頂いた。バス待ちのビールの美味いこと、格別であった。

男厄坂(工事中) 女厄坂 空海の風景の碑 本 堂
 石段を厄等の男女が織るように上下しており、登る者は・・・(「空海の風景」の一節  登者は、一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨を落としていく。(「空海の風景」の一節  司馬遼太郎著「空海の風景」の碑  15:30頃、本堂に着く。

大師堂 瑜祇塔 境内からの展望 境内からの展望
 山の中腹にある瑜祇塔は、多宝塔の原型と言われ、日和佐市内からよく見える。  遠くには海岸が見え、右手の小山には日和佐城が見える。  手前に見える大きな建物が「薬師会館」である。道の駅が中央に見える。大阪行きのバスが出る。

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8日目

 2012年(平成24)年9月14日(金)、7:55ハービス大阪発、室戸行きの高速バス(徳島バスEddy号)で前回中断した日和佐に向かった。11:50の定刻に、道の駅「日和佐」に到着。蒸し暑い。バス停で、帰りの遍路の方と出会う。菅笠と金剛杖で遍路と直ぐ分かる。一言二言の会話と「お疲れ様」「お気をつけて」で分かれる。山登りと同様に同じ目的の者は仲間意識が生まれるようである。近くのうどん屋で腹ごしらえをして、本日の目的地である16km先の牟岐に向かった。
 12:30日和佐を出発、国道の標識には、「室戸81km」とあった。13:10頃、雨が降り出す。あわてて雨合羽を着る。台風16号が沖縄付近を北上中であり、天気予報は、曇り時々雨であった。日和佐トンネルを出たところに「亀休憩所」の看板を掲げた休憩所があった。数分の休憩の後、国道を200mほど歩くと、頭の真上で雷鳴が轟いた。雨ならまだしも雷は宜しくない。走って「亀休憩所」に戻り、やり過ごすこととした。
 しかし、一向に雷が通り過ぎる気配がない。14:20意を決して出る。所々で激しい雷雨、足が竦むこともしばしばであった。峠を越えたコインスナック付近で国道から歩き遍路の道に入る。暫く歩くと田畑が広がる。広い場所を雷の中を歩くことに躊躇し、コインスナックに戻り、雨宿りをすることとした。雨脚は強くなる一方である。雷鳴に怯えるということは、まだ、人生に未練があるらしい。よく考えれば、音や光が分かるうちは生きている証拠、自分に落ちれば一瞬の出来事である。
 小降りになった16:10頃牟岐町に向け出発した。遍路道は止め、国道55号線に沿って歩くこととした。17:00旅館「あずま」到着。ずぶ濡れの合羽姿で旅館に入る。女将が親切に、持ち物を一つ一つ脱ぐのを手伝ってくれた。気風の良い、世話焼きな女将である。靴の乾かし方、次の宿の予約、洗濯もしていただいた。翌朝には、手編みの金剛杖カバーを付けて頂いた。
 風呂に入り、人心地がつき、食事をする。食事では、愛媛からの自転車遍路、香川から歩き遍路に女将を交え、楽しい一時となった。明日は、東洋町生見の民宿「谷口」まで歩くことした。女将が親切に予約してくれた。ここから、25kmである。健脚の方ならば、45km先の民宿徳増まで行けるとのこと。私には、無理である。明日、25km歩いて生見に泊まり、明後日は、民宿「椎名」まで25km歩けば、私のペースに合うようである。台風の影響が心配であるが、明日の目的地は確定した。22:00頃、まだ雷が鳴っている。


美波町日和佐(23番札所)から牟岐町へ    Top

日和佐 遍路道 遍路休憩所 遍路道
 12:00日和佐から歩き遍路を再開する。遠くに、23番札所が見える。  国道55号線を歩く。  13:10頃、国道沿いに遍路休憩所が設けられている。  13:20頃、雨が降り出した。

かめ遍路休憩所 雨宿り 遍路休憩所 遍路道
 13:50日和佐トンネルを抜けると国道から少し下りたところに「かめ遍路休憩所」がある。  かめ遍路休憩所から出ると間もなく激しい雷雨。再び、休憩所で雨宿り。  「げんきなおばあちゃん達の休憩所」と記されていた。  激しい雷雨の中の遍路道。思わず立ち竦む。

小松大師 遍路道 JR牟岐駅 旅館到着
 16:20頃、小松大師参拝。  16:40頃、橘川に沿って国道55号線を歩く。水量が多い。相当降ったようだ。  17:00JR牟岐駅前に到着。  17:00JR牟岐駅前の旅館「あずま」に到着。楽しい宿であった。お世話になりました。

9日目

 2012年(平成24)年9月15日(土)雨は、上がっているが曇り空である。どこの民宿も食事が美味しい。豪華ではないが、とにかく美味しい。朝夕は、よく食べる。メタボ対策も歩き遍路の目的の一つだが、体重は減らない。時には増える。ゆで卵とお茶のお接待を頂く。ゆで卵の塩は、残りを捨てずに、歩いている途中に舐めたらよいと勧められた。
 7:40旅館を立つ。同宿の2人は、既に出立している。8:10内妻峠の八坂トンネルを抜けると眼下に海が望める。8:20内妻トンネルの手前から遍路道に入る。民宿内妻荘の脇を通り抜け、海岸を10mほど歩くと春日神社の小さな鳥居がある。鳥居をくぐるとコンクリートで舗装した道であるが、水が流れ出て、滑って上れない。先も分からぬし、危ないので引き返し国道を進むこととした。
 鯖大師の大きな看板の前が遍路道からの合流地点になった。整備されているように見えたので、遍路道を戻ってみることとした。少し歩くと海岸に出て、200mほどの海辺を歩く遍路道になっていた。次回は、この遍路道を歩いてみたい。
 9:00頃、トンネルの手前で3方向に分かれる。中央は、国道55号線、左に遍路道の標識、右には「いやしの古道 土佐浜街道」と書かれていた。今日は、国道ばかりで単調な歩きであった。晴れてきたので、いやしの遍路道を歩くこととした。山の中の古道で、鯖大師の裏山に出た。多宝塔の直ぐ近くである。
 9:20境内を通り抜け、一度出てから、山門より入りなおし参拝した。塩鯖を運ぶ馬子と弘法大師との関係から鯖大師の名が由来しているようだ。
 10:10下山、3分ほどで国道55号線を南下する。晴れ間が広がり、暑い歩きとなった。10:25再び遍路道に入る。美しい岩場と砂浜のある大砂海水浴場を経由し、10:30には、再び国道に戻る。
 12:00〜12:10遍路小屋第一号標識が目に留まった。「香峰」と言い野村カオリさんが遍路小屋を昭和57年ごろから始めた場所である。当日は、誰も居なかったがオロナミンCがクーラーボックスに入っていた。お接待である。ノートにお礼を書きページを捲ると色々な言語が目に入った。英語と朝鮮語、アルファベットだが英語でない言葉、多くの人が歩き、ここを利用しているようだ。
 15:00水床トンネルを抜けると、高知県東洋町の国道標識があった。やっと、発心の国を過ぎ、修行の国に入った。昨日から、修行に入って感があるが。
 歩いて間もなく、遍路道の分岐があったので、遍路道に入ることとした。甲浦(かんのうら)の町を歩くこととなるが、途中、道に迷った。この付近では、よく目にした赤い遍路シールが殆どない。遠目で赤い印が見えたので行ってみると津波非難の矢印であった。ついに、「うぐいす谷」に迷い込み、行き止まりとなった。引き返し、近所の人に尋ねると親切に方向を教えてくれた。時々、迷う遍路がいるそうで、心配になり自転車で来てくれたようである。感謝、感謝。歩きに専念せず、心が迷っているから道にも迷うのだろう。
 16:20民宿「谷口」に到着。先に、女性の遍路が到着していた。今日の遍路は、4名で、あとはサーファーばかりという。台風の波で急にサーファーの宿泊予約が入ったとのこと。関西や遠くは関東からサーフィンに来るという。生見海岸は、以前テレビで見たオットセイがいる南極海のような異様な風景である。
 ここでも、2人の歩き遍路とにぎやかな夕食を共にした。話が弾み、8時頃まで長居をしてしまった。22:00頃、サーファーの一団が車で帰ってきた。夜遅くまで真にパワフルな賑わいであった。


 

国道の遍路道 歩き遍路への分岐点 遍路道 遍路道
 7:40民宿を出立。国道55線を南下する。  内妻トンネルの手前から歩き遍路の道に入る。しかし・・・  海岸線に沿う遍路道から上り道に入る。春日神社の鳥居をくぐると、足が滑り危ない。引き返すこととした。  8:40頃、国道と遍路道の合流地点に来る。整備されているようなので少し戻ってみることとした。

海岸の遍路道 遍路道 遍路道 鯖大師に着く
 200m程と思われるが、海岸を歩く遍路道がある。 次回は、遍路道を歩いてみたい。  9:00頃、トンネルの左に遍路道の標識、右には「土佐浜街道」の標識がある。右の道を選んだ。  久々に旧道のような遍路道を歩く。国道とは違い、静かで気持ちが良い。鯖大師への参道のようである。  9:15鯖大師の裏手に出る。多宝塔の直ぐ脇である。境内を通り抜け、山門から再入山した。



四国霊場番外札所(別格霊場第4番) 八坂山 鯖大師
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 鯖大師本坊は、千百有余年の昔、お大師様四国霊場開創の折、この地が霊地と悟られ、修行されたとされている。鯖大師縁起によれば、ある朝、通りかかった馬子に積み荷の塩鯖をこわれたところ、馬子から罵られ断られた。馬子が馬引き坂に来たとき、馬が急に苦しみだし、先のお坊さんが弘法大師と気付いた。馬子は、弘法大師に鯖を持ってお詫びし、馬の病気治癒をお願いすると、加持水を与えると馬はたちまち元気になった。弘法大師は、八坂八浜の法生島で塩鯖をお加持(加持祈祷、病気・災難などをはらうために行う祈祷の意)すると塩鯖は生き返って泳いで行った。そこで、馬子が庵を建てたのが始まりとのことである。
 納経所の方や和尚から昨日の雨は大変だったと労いの言葉があった。鯖大師の由来やお砂ふみを経由した護摩堂を回るなど、ゆっくりと参拝できた。お砂ふみでは、弘法大使像に礼拝すると足元に清めの仏足香炉があり、香で足を清めるようになっている。お砂ふみを回ることとなる。ゆっくりした歩き遍路もいいものだ。納経所では、お守りのお接待があった。「財宝のお守り 鯖大師百万両」のお守りである。このお守りは、お金を大事にし、お金を守るお守りである。ご利益を期待したい。
山 門 本 堂 大師堂 大師堂の鯖
 鯖大師の由来である鯖の像。

お砂ふみ 多宝塔 宿 坊 馬頭観音堂
 「お砂ふみ修行道場」とされ、長いお砂ふみ回廊が続く。一瞬にして別世界に入り、安らぎを感じる。急いで歩くことが遍路でないと、ふと感じた。  般若心経の「多宝塔」  聞くところによると、好評の宿坊である。歩き遍路にとって良い場所に位置しているようだ。  鯖大師に由来する馬頭観音を祭ったものです。


別格霊場第4番 鯖大師から修行の道場(高知県)へ
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 10:10に鯖大師を出て、鯖大師から土佐の国(高知県)へ向かう。
 15:20に高知県にはいる。多くの遍ろ休憩所で休みながら、のんびりと歩いた。当日の予定は25kmなので、当初からスローペースを考えていた。

 
12:20海南町の国道55号線に「第一号のヘンロ小屋」の看板が目に入る。「野村カオリさん」のヘンロ小屋で、昭和60年ごろから運営されているそうである。小屋の2本の柱は、人が支えあう姿をイメージしているとのことだ。当日は、無人であったが、地元の方々により運営されている。トイレや休憩場所が整備され、クーラーボックスには、冷えたオロナミンCがあり、1本頂き元気を取り戻した。

参道前の饅頭屋 大砂海水浴場 路傍の地蔵 遍路休憩所
 10:10鯖大師を出立。鯖大師参道前に趣のある饅頭屋がある。  10:30頃、国道55号線から大砂海水浴場に沿う遍路道を歩く。  国道55号線の路傍にある地蔵。多くは、行き倒れの墓標になっているとのことである。  11:30頃、国道55号線にある休憩所。傍らに、水道栓があり給水できる。

第一号遍路休憩小屋 第一号遍路休憩小屋 遍路道 遍路休憩所
 12:20頃、第一号のヘンロ小屋」の看板が目に入る「野村カオリさん」のヘンロ小屋で、小屋の2本の柱は、人が支えあう姿をイメージしているとのことである。  海南町の国道55号線沿いで、 昭和60年ごろから運営されているそうである。冷えたオロナミンCがあり、1本頂き元気を取り戻した。「香峰」と称するようある。  12:50頃、国道55号線をひたすら歩く。  「ヘンロ小屋・NASA・第三十九号」と表示されていた。云われは分からない。
 ヘンロ小屋の向かい側には地蔵堂があり、参拝してから次に向かった。

遍路道 暗雲垂れ込める 宍喰温泉 高知県に入る
  13:20頃、小那佐付近を通過、深い入り江になっているので川岸のように対岸が見える。美しい眺めで気持ちのいい歩きとなった。牟岐町から約14km地点である。  14:00頃、俄かに暗くなり、雨が降り出す。台風16号の影響と思われる。昨日の雷雨を思い出し、憂鬱になったが、幸い間もなく雨は上がった。 14:30頃、道の駅「宍喰温泉」を通過。高速バスの停留所もある。残念ながら、ゆっくり場内見学はしなかった。  15:00高知県に入る。発心の道場から修行の道場に替わる。札所間の長い道のりと太平洋の厳しい風や環境の中を歩くこととなる。


土佐の国へ         Top

(以下、国交省四国整備局のホームページから一部を抜粋)

 四国のみちは、歴史・文化指向の国土交通省ルート(約1300km)と、自然指向の環境省ルート(約1,600km)。
@   歩くことを基本としながら、サイクリング等も行える「みち」。
A    四国の美しい自然、特異な景勝地、四国霊場88ヵ寺等を広く巡りながら、四国を一周する「みち」。
B    失われていくへんろ道をできるだけ保存し活用する。
として定められているもので、上記理由により「四国88ヵ寺の巡礼ルート」としては大きく迂回し、遠回りとなる場合もあります。また、環境省ルートは、「四季を通じて手軽に楽しく、安全に歩くことができる自然遊歩道」として定められています。


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四国歩き遍路の旅